前話で、結城の地で八犬士が勢ぞろいしたところまでお話が進みました。 八犬士は、ゝ大法師(ちゅだいほうし)とともに安房に戻ることになりました。八犬士は室町将軍の勅許をえてゝ大法師の家柄である金碗氏の名跡を継ぐこととなり、安房城主となった里見義実に拝謁し、臣下となりました。これで里見家は武勇と権勢を誇る大大名となりました。
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前話からずいぶんと間を置いてしまいましたが、南総里見八犬伝のお話の続きです。(^^) 前話で南総里見八犬伝のストーリーは一区切りとなるようで、続きの話は3年後からはじまります。ここからはこれまでの冒険活劇とはうってかわって、怪奇譚的なストーリーに展開していきます。 5犬士が荒芽山で散り散りになって3年、犬飼現八は、京都で武芸の師範をして3年をすごしたのち、下野の国の庚申山のふもとにやってきました。犬飼現八は、庚申山で化け猫に遭遇し、持っていた矢で片目を射抜き追い払います。するとそこに、赤岩一角の亡霊が現れ、自分はかつて山猫に食われてしまい、里の自分の家に住んでいるのは、山猫が化けた偽物の赤岩一 ・・・
埼玉から船出する夢は立たれましたが、気をとりなおして東へ進み行田に入ります。北埼玉の古都・行田市は歴史のあるまちで、大きな古墳がたくさんあります(さきたま古墳群)。戦国時代末期の小田原征伐の際には豊臣方の石田三成の大軍が攻め寄せました。忍城(おしじょう)を守る北条方の成田長親は、金にものを言わせて水攻めを行う三成の攻撃を耐え抜き、映画化もされました(のぼうの城)。江戸期には忍藩(十万石)がおかれました。埼玉では有名な十万石まんじゅうの「十万石」は、忍藩十万石にちなみます。埼玉県にかつて置かれていた藩はこのほかに、荒川右岸の川越藩、荒川左岸の岩槻藩となりますがどちらも埼玉県では南側に位置します。 ・・・