三人寄れば病気の話
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余呉川右岸平地と琵琶湖岸を南北に走る賤ケ岳山系の西野山丘陵地帯は、平素は飲水にも困ったが,地勢が低いため余呉川氾濫時は滞水による作物の被害が大きかった。西野水道は、充満寺第11代住職・西野恵荘が氾濫防止のため西野山の掘削を計画、庄屋・村民を説得、彦根藩主井伊直亮の許可を受けて始めた。 1840(天保11)年着工。能登、伊勢から石工を招き、実に6年の歳月と1275両をかけて1845(弘化2)年に完成した。ノミだけで掘り抜かれた手堀りの岩穴である。以後余呉川の氾濫を防ぐ大きな役割を果たした。「近江の青の洞門」とよばれる。1950(昭和25)年のすぐ横に新水路、1980年に大型の新放水路(トンネル) ・・・
4月14日に福井の海津大崎の桜と敦賀ヨーロッパ軒を目指してツーリングに行ってきました。大阪から京都東ICまで高速で移動し、そこから湖西線、鯖街道へ出て北上。途中で道の駅朽木本陣に立ち寄り川沿いの桜を満喫しました。休憩を終え、次はマキノのメタセコイヤ並木まで走り記念撮影。この日はライダーも多く、あちこちで記念撮影していましたー。そして、次はいよいよ海津大崎へ今日の一番の見所です。が、しかし。。。この日は海津大崎周辺は交通規制があり、迂回ルートで大渋滞に(汗)なんとか、道が流れ出し停車出来そうな場所を探して、とりあえず記念撮影。ここで11時半あたりでしたので、お腹も空いて来ました。今日のお昼は敦賀 ・・・