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ntkd29さん
日本陸海軍は戦争中盤に米軍のB29爆撃機の存在を知るとこれを迎撃するための高高度戦闘機の開発を始めた、(・_・;)😅(^_^;)👿。海軍は双発の天雷、閃電、烈風改、震電、電光など、陸軍はキ87、キ94、キ98、キ102、キ108など、また陸海軍共同でロケット戦闘機の秋水など様々な機体の開発を始めたが、最終的にごく一部の機体が実戦に参加しただけで全てものにはならなかった、(゜o゜;
海軍の天雷はエンジン不調で所定の性能が出ず開発中止、閃電は戦況に間に合わないとして設計段階で開発中止、烈風改は一部の部品を製作したのみ、震電は3回の試験飛行で終戦、電光は1号機が被爆、2号機が完成直前に終戦、陸軍のキ87は脚の不調などで5回程試験飛行して中止、キ94Iは操縦席を挟んで機体前後にエンジンを配置した形状があまりに現実離れしているとしてモックアップで中止、キ94IIは陸軍機の白眉と言われた美しい機体だったが、試験飛行2日前に終戦、キ98は製作中にソ連の侵攻を受けて退却の際に破壊、キ102は一部が実戦参加したのみ、キ108は与圧室を装備した本格的高高度戦闘機だったが、試験飛行のみで終戦、ロケット戦闘機の秋水は最初の試験飛行で燃料を少なく入れたために途中で燃料が吸い出せなくなってエンジンが停止、墜落という惨憺たる有様だった、(゜o゜;😅👿(^_^;)。
その原因は各種物資が乏しくなってからの開発であったこと、昭和19年末からはB29の空襲で生産設備を破壊されたことや東南海地震地震で三菱などの工場🏭️が被害を受けたことなど様々あるが、最大の問題は大馬力エンジンが作れなかったことと高高度でエンジン出力を確保する過給機、ターボチャージャー、スーパーチャージャー、水メタノール噴射装置など、が作れなかったことだろう、(゜o゜;😅👿(^_^;)。
海軍には局地戦闘機として雷電があったが、この機体も振動🫨やらエンジン不調などで開発生産が進まず陸軍は2式単戦を捨てて新型の4式戦に力を入れたが、4式戦もエンジン不調でカタログ性能が出せず結局は日本陸海軍は戦争序盤の機体でB29と戦うことになってしまった、(゜o゜;😅👿(^_^;)。
陸軍には昭和18年当時キ102の元になったキ96という双発単座の機体があってそこそこの性能を出していたが、まだ防空戦闘機の必要に迫られていなかった陸軍は開発を中止してしまった、(゜o゜;😅👿(^_^;)。比較的性能が安定していた陸軍の2式単戦やこのキ96を改良あるいは実用化しておけばそれなり活躍できただろう、(^_-)-☆😉👿(^_^;)。
海軍の機体は全滅でこれと言った機体はないが、零戦を金星エンジンに換装して航続距離などを短くした軽量型などである程度は対応できただろう、(^_-)-☆😉👿(^_^;)。
昭和18年辺りに2千馬力級の安定した性能を発揮できるエンジンの開発に成功していれば海軍は紫電改や烈風で間に合っただろうし、陸軍は4式戦が高高度戦闘機の役割を果たしてこのように百花繚乱的な高高度戦闘機の開発をしなくても済んだだろう、(^_-)-☆😉👿(^_^;)。
戦況が悪くなると一発逆転を狙って高性能機を開発しようとするが、身の丈に合った機体、今ある最良のものを組み合わせた現実に対応可能な機体の開発をすべきだったかもしれない、(^_-)-☆😉👿(^_^;)。
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