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杉さん
ふと広場を見ると、片隅に1輪 大きなコスモスが咲いている。
一輪というと、秀吉と師匠の千利休との やり取りが思い出されます。
一輪の朝顔・・・
時は戦国時代、夏のある日 利休の庭一面に 朝顔の花が見事に咲いたと、
それが評判になり 秀吉の耳にも入ります。
すると秀吉は、早速 利休へ沙汰を出し見に行くことに、
その翌日、秀吉は家族総出で 出かけて行きます。
そして利休の屋敷に着くと、庭に朝顔など有りません。
花は 全て刈り取られた後でした。
秀吉は、むっとして茶室へ入って行きます。
すると、そこには赤い朝顔の花が 一輪 生けてあったと、
秀吉は じっと見ています。
すると、はっとして利休の美意識に驚いたという。
利休は一輪の花の引立つ美しさで、秀吉を もてなそうとしたらしい。
また ある日、一杯食わされた秀吉は 利休を自分の茶室に呼びます。
秀吉の茶室は黄金の茶室だとか、
まず 茶室の真ん中に 大きな鉢を置きました。
そこへ水をなみなみと注ぎ、脇には梅の花を一枝を置きます。
そこで秀吉が言います「利休よ この花を生けて見せてくれ」と、
利休は考えます、普通に生けたのでは、水の中に沈んでしまって 生花にならない。
考えた末、利休は梅の枝を逆手に取り、花びらをしごきます。
そして、その花びらを そっと水に浮かべたと、
すると どうでしょう、白い花びらが茶室の金色に映え 見事に輝きました。
それを見た秀吉は、あまりの美しさに 声をあげて驚いたという。
秀吉と利休の美意識は、違うようです。
秀吉は、絢爛豪華な きらびやかさな世界がお気に入り、
一方、利休は凛とした繊細な美を 求めているという。
利休に言わせると 茶道とは 「もてなし」と「しつらえ」の美学だと言っています。
美学って何でしょう? 多分それは相手に感動を与えるもの かも知れませんね。
時刻は12時、この先に「道の駅・湯西川」があるので そこで昼食にします。
そして 5分ほどで到着、すると変な車が目の前を通過、
慌ててカメラを取り出し シャッターボタンをプッシュ、ギリ間に合った!
これは水陸両用バス「やまがた アルカディア号」だ。
水上からの紅葉見物とは、何んとも日本的で風流、
ところで、以前来たときは 確か「ダックス号」だったが、これは山形から やって来たのかな?
それは さておき、まずは食堂へ、
妻はカレーが好きなので「ダムカレー」と天ぷらに、
舞茸は最高、ふっくら柔らかく食感も抜群 やはり旬の味覚です。
自分は新蕎麦を、噛み応えがあり信州蕎麦風だ、
のど越しのいい更科蕎麦とは違う食感が楽しめました。
コメント(全12件)
千利休は秀吉との仲違いから、京都安倍晴明神社隣の「聚楽屋敷」で1591年に切腹させられますが、千利休の影の支援者であった秀吉の甥の関白豊臣秀次も1595年に切腹させられるのは周知のことで、この秀次が住んでいたのは千利休の屋敷「聚楽屋敷」近くの「聚楽第」でした。秀吉は秀次の存在をこの世から消しさるため、聚楽第を跡かたなく破壊したのは有名な話ですね。
豊臣秀吉はワンマン突っ走りタイプで出世街道を駆け上がってきましたが、弟の豊臣秀長が陰で兄の行き過ぎをたしなめたり、大名たちとの対外調整をしてきましたが、その秀長が無くなり、豊臣政権下では利休と懇意な秀次支持派が台頭してきて、そのタイミングで豊臣秀頼が生まれということが、豊臣家の内紛というか悲劇につながっていくのでしょうね。
この辺の内紛が、徳川家康の豊臣恩顧大名の取り込み成功と関ヶ原の戦いの勝利につながっていくのだと思います。(^^)
新潟は紅葉が始まったかと思ったらみぞれが降り始め、紅葉時期がえらく短く終わってしまいました。この先温暖化が進むと日本には秋らしい秋が来なくなってしまうという話もありますが、そういう所が心配です。
この前まで、暑い暑い、秋冬ホントに来るの??って感じでしたが、
あっという間に寒くなりましたね。
バイクも、もう本格的な冬装備ですね。
湯西川温泉は、道の駅まで行った事あり、併設の温泉目指してたんですが、
この時は工事中で入れずじまいでした・・
日本の文化ですね。おもてなしに通じる精神でしょうか?
川治温泉には何度も行っていますが、湯西川温泉は未経験です。
いつかいつかと思ってなかなか行けません。
あの辺りはダムと渓流といい景色が見られそうです。
相変わらず旅を楽しまれていますね。
紅葉の見頃の時期って
毎年若干異なり、休みの都合になかなか合わず
少し早かったり逆に遅かったりと
なかなか難しいのですが
いいタイミングで見られたのですね。
日塩もみじライン
景色は最高にいいのですが
路面はかなり荒れていており15年くらい前に
後方排気のTZRで苦い思いをしました・・・
今では寂れてしまって、こんな贅沢なグッズは手に入らなそうですね・・・