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子どもが大きくなったので時間をかけて展示を見る事ができました。
そのお陰で、母方の私の祖母の通っていた土肥女学校の写真を発見できました。
今で言う、本通り8丁目のバス停から山がわへ登った辺りに当時あったそうで
入り口は車1台分しか通れない道なのに進むと開ける場所があり住宅地になっているのできっとその辺りにあったと思われます。
そして、展示のパナーム焼夷弾。
7月の呉空襲で使われた物だそうです。
祖母が言うには空襲の後、185号線に亡くなった方が運ばれてそこで荼毘に伏したそうです。
その時の臭いが忘れられず暫くは焼いたサバを食べられなかったと話していました。
女学生の時に焼夷弾から逃げたと話してくれて
そのお陰で私が生きているんだなと感じました。
コメント(全2件)
戦中と復興を見学して、今ある平和に感謝します。
それはそうと、親がバイクに理解あるのは良いですね〜!
しかもタンデムに連れて行ってくれるとか。
私もteruさんの子になりたかったです?!
何度も大和ミュージアムに行かれてるんですね。
今回は海軍を題材にした文豪の企画展をされていました。
タンデムは
私も子どもの頃から母の後ろに乗っていたので私の母のおかげですね。