
0000108access
ここ蚶満寺にも芭蕉さんがいました。(^^;
ここで詠まれたのが、
象潟や 雨に西施せいしが ねぶの花
翻訳:象潟に降る雨にねぶ(合歓)の花が濡れる姿は、中国の絶世の美女・西施が憂いにまぶたを閉じてうつむいている姿のようだ
汐越しおこしや 鶴はぎぬれて 海涼し
翻訳:汐越の浅瀬に鶴が舞い降りた。その脛が海の水に濡れて、いかにも涼しげだ。衣が短くすねが長く見えているのを「鶴はぎ」と言うが、まさに鶴はぎの様子だ。
象潟や 料理何食ふ 神祭 (曾良)
翻訳:象潟では熊野権現のお祭りが行われていて、ここではどんな料理が食べられているのだろうか。
波越えぬ 契りありてや みさごの巣 (曾良)
翻訳:波が飛びかかってきそうな危うい岩場に雎鳩(ミサゴ)の巣があるが、決して雎鳩夫婦の巣には波は届かないであろう。
さて、芭蕉はおくの細道で、象潟を次ように評しています。
「俤おもかげ松島に通ひて、また異なり。松島は笑ふが如く、象潟は憾む(うらむ)が如し。寂しさに悲しみを加へて、地勢 魂を悩ますに似たり。」
翻訳:象潟は松島と似た景色だが、松島は笑っているようだが、象潟は憂いているようだ。
曽良の日記では、...象潟に向かう道の描写で「ウヤムヤノ関成ト云。此間、雨強ク甚濡...」と言っているのと、「象潟や 雨に西施せいしが ねぶの花」でも雨と詠っていることから、松島では晴だったのに象潟では天気に恵まれなかったことも関係しているかもしれません。
なお、象潟は写真にあるように田んぼの中に小山がポツリポツリとありますが、芭蕉が訪れた元禄2年頃は海の中に小島が浮かぶ、松島のような風景であったそうで、文化元年(1804)の象潟地震で一気に隆起して今の姿になったそうです。
15:30 酒田市日和田山公園 ここにも芭蕉さんがいました(^^;
元禄2年6月14日 羽黒山から象潟に向かう途中、芭蕉たちは酒田に泊っています。ここで詠んだ句が、
あつみ山や 吹浦かけて 夕すヾみ
翻訳:「あつみ山」と名前からして暑さを思わせる山から、涼しい風を思わせる吹浦の地を見下ろすのは、しゃれた夕涼みだ。
ところで、このあつみ山がどこの山なのかが問題となります。通説としては鶴岡市南部の温海岳とされていますが、酒田から見ると吹浦と温海岳は南北真逆で景色が一致しないという矛盾があります。別説としては酒田から見ると吹浦の向こうにあるのは鳥海山で、鳥海山は別名「飽海の嶽(あくみやま)」と呼ばれていたので、暑い夏の日の山にかけて意図的にあつみ山と書いたのではないかと思われるので、地理的整合性からも私はこちらの方が理にかなっていると思います。
暑き日を 海にいれたり 最上川
翻訳:暑い日だった今日の夕日が最上川によって海に流し込まれ、沈もうとしている。一日も終わりを迎え、やっと涼を得られることだろう。
コメント(全24件)
江戸時代にも地震、噴火と天災はつきものだったんでしょうかね?
日本列島の成り立ちにも関係はありそうですけどね(^^;
また、今週行きますよーー(^^♪
象潟が昔は海で松島のように小島が点在してた景色が理解できる地形ですよね・・・
ババへらが今の時期にも!笑。夏の岩ガキが秋田が出始めなのですが、今では大きいのが無くて高くなっていて
前回はあまりのも高かったので食べるのやめました!
芭蕉さん達が行った時はまだ海だったんですね!
こんな解説を学校の先生がしてくれたら、みんな古文の面白さを知るのに。
逆を返せば人が住んでない(+o+)
当時の工程としては驚愕しますね。
ココを走ってよくわかったんだねー(笑)
〆のラーメンも美味しくいただけたようで良かったですね~♪
象潟が松島のような景色だったとは、知りませんでした。
似てる様でも対比しているのは分かるような気がします。
表日本と裏日本や山陰と山陽では、気候や雰囲気が違いますからね。
あつみ山=飽海の嶽説、これまたなるほどです。
実際に酒田から温海岳は見えないと言うか識別出来ないと思います。
満月は行列が嫌で一度も食べた事がありません。
カップ入りのババヘラアイスが出てて妻が買ってきましたが、
そういう売り方をしたらババヘラアイスではなく
ババヘラタイプアイスとかババヘラ風アイスですね
地球の歴史から見たら、ほんのちょっと前って感じですね(^◇^;)
秋田で雪のふるなか(4月)たべました。..美味しかったな。
鳥海ブルーラインはツーリングによさそう!
ワンタンメンも美味しそう(o^~^o)