
0000105access
鈴木清風のところに10日間もいたので、芭蕉が3句、曽良が1句を残しています。
芭蕉3句
涼しさを 我宿にして ねまる也
翻訳:清風の用意してくれた、この涼しい宿にいると、まるで自分の家にいるようにくつろげるものだ。
這出よ かひやが下の ひきの声
翻訳:飼屋(蚕小屋)の下でひきがえるが泣いている。そこから出てきて手持ち無沙汰な私の相手をしておくれ。
まゆはき(眉掃き)を 俤(おもかげ)にして 紅粉の花
翻訳:尾花沢の名産である紅の花を見ていると、女性が化粧につかう眉掃きを想像させるあでやかさを感じる。
曽良1句
蚕飼ひする 人は古代の 姿かな 曾良
翻訳:養蚕をする人たちの作業衣は、古代の昔からもこうだったろうと思わせる素朴な感じのものだ。
立石寺(山寺)というとこの開山堂と芭蕉の俳句がセットで掲載されるので、ここが立石寺本堂と勘違いしている人が多いですが、ここは開山堂で本堂ではありません。
ただ、開山堂までの1015段の階段を上ると、有名な芭蕉の句を体感できると思います。(笑)
元禄2年5月27日 芭蕉たちは、立石寺を訪れてこの句を読んでいます。
閑さや岩にしみ入る蝉の声
翻訳:なんて静かなのだろう。石にしみ入るように蝉が鳴いている。
私はこの蝉の声は、単純に昆虫の蝉だけではなく、立石寺で天台宗の不滅の法燈が灯されて数百年の間、山々や岩に響く読経の声を蝉に見立てているのではないかと解釈しています。これは私独自の解釈でほかにこんな俳句解説はありません。
立石寺の本堂は、山のてっぺんではなく、バイクを置いて階段を上ったすぐのところに、芭蕉たちと佇んでいます。
この本堂には、比叡山延暦寺からもたらされた最澄が延暦寺開山の時に灯した法燈の火が今でも守り続けられていて、今回の東京オリンピックの聖火の一部に使われたそうです。
この不滅の法燈には、芭蕉たちが訪れるはるか以前の戦国時代の逸話も残っていて、織田信長の比叡山焼き討ちで最澄が延暦寺で最初に灯した法燈は一度失われているのです。
そのことを聞いた立石寺は、分灯してもらった不滅の法燈を分灯して比叡山延暦寺に戻し、法燈の火は絶やされずに今まで来たというとこです。
天台宗の教えである「油断大敵」とは法燈の油を切らさない戒めであり、「一隅を照らす」も小さな法燈の火を照らしつづけることに価値があり、それはひとつのことでも専念し続けることの大切さを示しています。
コメント(全26件)
もうすっかり顔見知りになれたんじゃないでしょうか
いよいよ立石寺に到着ですね。
長い階段はどこまでも続き自分も難儀しましたよ。
名物の玉こんにゃくを食べながら登りましたが、しーんとした森で芭蕉の句が実感できました。
そして一隅を照らす、素敵なことですね。
灯が消えないように長年守り続けられているんですね~♪
あの階段まだのぼれるかなぁ?w
仏教の教えてって、現代にも色々なところで使われていますからねぇ。
現代版、奥の細道はかつての歴史を一つ一つ確認していく旅ですね!
なんて味わい深いんだ。
多分、息が上がります(^^;
でも、風情を味わうためには登らないとですね〜(^^;
芭蕉の足跡を辿る旅もいよいよ後半戦に突入ですね!
バイクだけでは無く、徒歩で歩いた距離も結構なものになりそう??
心と身体の鍛錬にも一役買ってますねw
飯とか宿代とかはどこから捻出してたんですかね?
句会を開いて、見返りに提供してもらってたんですしょうか?
これは聞いたことがあります( ^ω^)
俳句読みながらの旅か…私なら食べてばかりの旅になりそうw
当時は標準語として使われていたのだろうか?
山寺で詠まれた句は地元ではだれもが知っています。
全国的にも有名なのか気になるところです。
夏草やがフェアレディZくらいの知名度ですね
このまえツインリンクのホテルが盛大にモヤってて、
比叡山焼き討ちみたいだな~って暫く眺めてましたが
そんな逸話があったとは・・・