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チバアヒル(完全復帰まであと一歩)さん

プロフィール

誕生日
8月 18日  
血液型
A型  
都道府県
千葉県  
活動エリア
全国 
ライダースキル
 
乗車頻度
 
整備スキル
 

ステータス

日記投稿件数
933件
インプレ投稿件数
31件
MYバイク登録台数
2台
友達
98人

奥のカブ道を往く♪...(10)一関~厳美渓~岩出山~尿前の関~堺田

走行距離
112km

平泉で数々の謎解きをして、心のつかえがとれたので、またおくの細道を進むことにします。

10:30 平泉から一関に向かう途中、紅葉の名所として名高い厳美渓に立ち寄りましたが、まだ紅葉には時期が早すぎたようでした。残念。

11:30 昼食は、一ノ関駅前の和風レストラン「松竹」でソースかつ丼をいただきました。人気店で満卓でした。

 

今から48年前、東北ツーリングで夕方一関に差し掛かり、野宿予定の私は夕飯をこのお店で食べた記憶があります。駅前交番のお巡りさんに聞いてここを教えてもらいました。

当時何を食べたかもう覚えていませんが、ソースかつ丼では無かった気がします。

そもそも昭和40年代、東北ではかつ丼とはソースかつ丼のことで、今のようにあえて「ソースかつ丼」なんて表示はしていませんでした。卵とじトンカツは別に「煮カツ丼」と書いてありました。

13:30 岩出山

元禄2年5月14日芭蕉たちはここの宿場に泊っています。

単なる通過点なのか、

南部道遙かに見やりて、岩手の里(岩出山)に泊る。

としか書かれていません。

岩出山は、若き伊達政宗が過ごした場所で、もともとは岩手沢と呼ばれていたのを徳川家康により岩出山と名を代えたと言われています。

伊達政宗というと仙台のイメージが強いのですが、もともとは米沢藩にいたのですが豊臣秀吉に岩手県の今でいう大崎市に転封(左遷)させられて、秀吉亡き後関ヶ原の戦いで徳川家康に加勢して仙台に上ったという歴史があります。

岩出山城跡にある白い伊達政宗像は、みなさんご存じの小田原攻め遅参の逸話の白装束ということです。SLはオマケ♪

この話を多少敷衍しますと、天正18年(1590年)伊達政宗は秀吉から小田原攻めに参陣を命じられたのに、半年も出陣が遅れてしまい、白装束(死を覚悟)で秀吉に拝謁しました。それまで命令に背く政宗を殺せと激怒していた秀吉は、政宗の胆力にすべてを許したと言われています。

しかしその仕置きとして米沢から岩出山に飛ばされたというわけです。

しかし、抜け目のない政宗は、秀吉亡き後豊臣から徳川に時代が移るのを読んで、関ヶ原の戦い、大坂の陣ともに、徳川に加勢して、仙台で一大国家を築いたのは知るところです。

14:00 尿前の関 ここも芭蕉像が出迎えてくれました。♪

 

おくの細道では

鳴子の湯より尿前の関にかかりて、出羽の国に越えんとす。
この道旅人まれなる所なれば、関守に怪しめられて、やうやうとして関を越す。

宿泊した岩出山から鳴子温泉を通って、尿前の関所に来たら、役人に怪しまれてなかなか関所を通してもらえなかったとあります。(笑)

14:30 封人の家 この場所は、岩手と山形の県境であり分水嶺なので、まさに昔から国の境というべき場所のようです。

 

元禄2年5月15日 尿前の関をやっと超えた芭蕉たちは、仙台領と境を接する新庄領堺田村の庄屋兼国境役人を務めていた旧有路家に泊めてもらいます。この時は雨で翌16日も泊ったとのことです。なお、封人とは国境役人という意味だそうです。

ここで詠まれた句があの有名な

蚤虱 馬の尿する 枕もと

翻訳:こうやって貧しい旅の宿で寝ていると蚤や虱に苦しめられる。その上宿で馬を飼っているので馬が尿をする音が枕元に響いてくる。

封人の家は見学できるので、芭蕉の泊まった場所を見学させてもらうと、奥座敷の上等な床の間で、確かにこの地方独特の南部曲家で馬もいますが、蚤虱馬の尿とは無縁な部屋です。

ここでも石巻のケースと同じ話法で、栄華を極めた平泉から天童山寺に行くのでそれらを引き立てるため、尿前の関にいることを示すためもあって「馬の尿、枕元」にかけて宿を貧相に表現したと考えられます。

14:45 山刀伐峠(なたぎりとうげ)

 

元禄2年5月17日 封人の家を出た芭蕉たちは、用心棒を付けてもらい道も険しく山賊もいるという山刀伐峠を越えて尾花沢に向かいました。

 

あるじのいはく、これより出羽の国に大山を隔てて、道定かならざれば、道しるべの人を頼みて越ゆべきよしを申す。
さらばといひて人を頼み侍れば、究竟の若者、反脇差を横たへ、樫の杖を携へて、われわれが先に立ちて行く。
今日こそ必ず危きめにもあふべき日なれと、辛き思ひをなして後に付いて行く。
あるじのいふにたがはず、高山森々として一鳥声聞かず、木の下闇茂り合ひて夜行くがごとし。
雲端につちふる心地して、篠の中踏み分け踏み分け、水を渡り、岩につまづいて、肌に冷たき汗を流して、最上の庄に出づ。 

かの案内せし男のいふやう、「この道必ず不用のことあり。恙なう送りまゐらせて、仕合はせしたり。」と、喜びて別れぬ。
後に聞きてさへ、胸とどろくのみなり。

 

いよいよ奥のカブ道も山形に入り、後半となります。

さあて、何人がこれまでの話についてきているかな...(笑)

コメント(全24件)

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tellさん
お話には、なんとかついていってますよ~ 汗(^^;)
元々日帰りツーの範疇ですので、趣が変わるとこんな感じで周遊できるんだなぁ
と再発見できてますw

週末、天気に恵まれたなら冬季閉鎖前に行ってみようかなぁ~
  • 返信
チバアヒル(完全復帰まであと一歩)さん
元禄の昔も現代も、街の様子は変わっても、芭蕉たちが見たであろう山々の姿や空の色は今も同じとであろうと、時空を超えて空間を共有する楽しみは、私のツーリングの楽しみ方のひとつです。(^^)
  • 返信
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軽量化以上に体重が増えたさん
山形県は知らない
語れない
(-_-;)
・・・・え
まだ前半だったんですか
  • 返信
チバアヒル(完全復帰まであと一歩)さん
今までがみちのく編の前半である太平洋側表日本です。堺田の分水嶺を超えたので、これからみちのく編の後半、日本海側です。(^o^)
  • 返信
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NINJA BAKAさん
実に面白い!趣深く時代の違う歴史が一つに語られていく感じ。奥州平泉、義経さんがたよった藤原氏。栄耀栄華を誇っていたのに衰退して。伊達政宗公のお話も、面白いですよね。
  • 返信
チバアヒル(完全復帰まであと一歩)さん
面白いと言っていただいてありがとうございます♪
文章が多くて読みづらいと思いますが、御勘弁を(^^;
こういう歴史旅は、時空を超えて当時の人も見ていたであろう山々や空の下に自分を置いて、同じ空間で当時の人が何を考え何を感じたのか思いをめぐらすのが楽しいです。
  • 返信
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パチ10(良くも悪くも最強な台だな・・・)さん
えっ?これから後半?(汗)もう終わりかと思ってただけに驚きです(笑)
それだけ壮大な旅をしてきたんですね~♪

昔は用心棒を付けないと危険な場所もあるのね^^; 今じゃそんな
危険な場所なんてパチ屋くらいしか無いですね~(爆)
今日も諭吉さんが何人も撃ち死にしてしまいました~><
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チバアヒル(完全復帰まであと一歩)さん
この旅はまだまだ続きます...(笑)
現代でも山刀伐峠みたいな追いはぎが出るのね。私も昔、777の旗印に誘われて参戦しましたが、敵将の首を取るより打ち取られることの方がはるかに多かったので、足を洗いました。爆
  • 返信
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KAWIさん
そろそろお話しについて行くのは限界点かな、お伺いするばかりですw。
最後までお読みします。
  • 返信
チバアヒル(完全復帰まであと一歩)さん
無理なさらずに...(笑)
  • 返信
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toshiさん
独眼竜政宗はもう10年早く生まれていたらどうなっていたのか?
想像するのも楽しいです。( ^ω^)
  • 返信
チバアヒル(完全復帰まであと一歩)さん
戦国時代は、生き残った者勝ちみたいなところが多くて、武田信玄もあと5年生きたら、織田信長の天下も豊臣秀吉の太閤も本能寺の変も無かったので、違う時代となっていたかもしれませんね。
徳川家康も秀吉が死ぬのをじっと待って、秀吉より1分1秒でも長生きして天下を取るために、自分は健康オタクに徹していたと言いますからね。(^^;
  • 返信
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くれないの?デブっ!(ター坊改め。略称「くれデブ」)さん
さらに後半へ続く^_^
  • 返信
チバアヒル(完全復帰まであと一歩)さん
まだまだ続くよどこまでも...(笑)
  • 返信
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たかぴーさん
そう言えばソースカツ丼ってこっちではほとんど見ませんが・・・
東北の方ではカツ丼はソースカツが主流だったんですね〜(^^;
  • 返信
チバアヒル(完全復帰まであと一歩)さん
ソースカツ丼は、北は岩手県、西は福井県あたりが境みたいですね。北海道ではソースカツは全域ではなく点在的にあるようです。(^^)
  • 返信
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さすらいのライダーさん
こんにちは。

「刀」とか、「尿」とか、あまり馴染みのない漢字が用いられている地名ですが、やはり、いわくと言いますか、語源のようなものが有るんですねぇ〜w
  • 返信
チバアヒル(完全復帰まであと一歩)さん
しとまえのせき...の「しと」は雨がしとしと降るの「しっとりした」湿った土地のところの関所という意味で、オシッコも方言でしとするというので、それが重なって尿前の関の語源らしいです。(^^)
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おっぺけさん
話を脚色、盛ったり(したであろう)するのはこれもまた今も昔もあったんですね。

やっぱり、物語は面白く、楽しくないとたくさんの人に読んでもらえないですからね。
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チバアヒル(完全復帰まであと一歩)さん
おくの細道は、旅行記ではなく紀行文であると言われるように、脚色や省略が随所にあって、読み物としての性格が強いようです。
曽良日記はむしろ旅行記で事実をありのままに書いてあるらしいです。(^^)
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ピロンさん
厳美渓の紅葉は今頃が見時かもしれませんね。
一度は行って見たいと思っていますがバイクだと寒そうです。
我が県に入ってからは私の知識でも少しは通用します。
ソースかつ丼と言えば駒込か会津だと思っていました。
そのよーなルーツがあったとは・・・。
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チバアヒル(完全復帰まであと一歩)さん
猊鼻渓は、紅葉の頃行ったことがあるんですが、厳美渓は何回か行っても紅葉時期に当たったことが無いです。(ToT)
ソースカツ丼は、大きく分けてタレがウスターソース系と甘醤油系、カツが1枚肉厚系と1枚薄カツ大わらじ系と一口カツ数枚系、ご飯にキャベツが敷いてあるものとキャベツ無し...全国各地のソースカツもだいたいがこのどれかの組み合わせパターンです。
  • 返信
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ゴリフさん
48年前はちょうど私が生まれた頃なので
あの城東バッグとナナハンで全國制覇されてた時代ですね

私からするとチバアヒルさんが西行法師状態です
  • 返信
チバアヒル(完全復帰まであと一歩)さん
チバアヒル(完全復帰まであと一歩)さん
私は西行法師のように歌は詠まないで、むしろ食いしん坊旅してますので、こっちに近いです。(^^;
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