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チバアヒル(令和の馬笑)さん
白河の関には、県境の左右で栃木県側と福島県側にそれぞれ昔から「境の明神」と言われる神社があります。
芭蕉は奥の細道の書き出しで白河の関を越えて奥に旅立つ期待を込めているのに、いざ白河に来て俳句を残していないのです。代わりにお供の曽良の句があります。
ここで芭蕉区を読まなかった理由として、感動のあまり句が出なかったとか、疲れがたまって句を詠む気力がなかったとか言われますが、「白河の関」は、和歌の歌枕であり、昔から多くの歌人が、都から遠く離れた未知の土地へ下る感慨をさまざまに詠んできたので、歌枕の聖地で詠むことを遠慮したとするのが有力です。同じことはこの後の松島でもありました。
心もとなき日数重ぬるままに、白河の関にかかりて、旅心定まりぬ。
「いかで都へ。」と便り求めしも理なり。
なかにもこの関は三関の一にして、風騒の人、心をとどむ。
秋風を耳に残し、紅葉をおもかげにして、青葉のこずゑ、なほあはれなり。
卯の花の白妙に、茨の花の咲きそひて、雪にも越ゆる心地ぞする。
古人冠を正し、衣装を改めしことなど、清輔の筆にもとどめおかれしとぞ。
「卯の花を かざしに関の 晴れ着かな」(曽良)
翻訳:いにしえ人は白河の関を通る時、正装に着替えたという。私たちはそこまではできないがせめて今の時期に咲いている卯の花を頭上にかざして、正装に代えて関を越していこう。
コメント(全30件)
....にしても翻訳した人はたいしたもんですね!
わたしが翻訳すると、柳さんが勝手に田植えして帰っちゃった?
になりますけど(^^;
100年後には東京から東北までがどこでもドアで3秒でいけます..
きっと(^O^)
白河の吉田屋メモメモ。
では、また
一つ言えることは、蕎麦が美味そうw
学生の頃、俳句や川柳に興味深々で、古文は嫌いだったのに、この分野だけ成績が良かった私…f^_^;
最近のテレビ番組で、素人芸能人が句を詠み、プロが解説採点するものがありますが、番組内容自体は好きなのですが、口の悪い解説者がどうしても好きになれず(昔は放送禁止コードにひっかかりましたね、これじゃぁ)今は見ていませんε-(´∀`; )
こんな素敵な古い街道をトコトコと走っていたら、自然に句の一つや二つが浮かんで来そうですねw
出雲そばの感覚だと7段は多いですね
西遊記にも芭蕉扇でなんかかんか吹っ飛ばすのが出てきていたり(^^;
何か一句残せば良かったのに~~~(笑)って思うけど多分その
時間帯だけ俳句詠む気分じゃ無かったのかな~?(爆)
だから、女房にこれはバナナの木だ!と教えたんですけれど、今一信じてもらえていなかった。
あれはきっと芭蕉の木なんだろうなぁ。女房にこの日記を見せたら納得しました。で、チバアヒルさん博識って。
僕もそう、思います。
色々な知識に精通されているからなぁ。
何か特別な境界を意味するのでしょうか気になります。
近年、ラーメンだけでなく日本蕎麦の写真を見ても旨そうでなりません。
いよいよ東北入り、この先も楽しみです。
カブでゆっくり巡るのも楽しそう(^^♪
私もあと何年かしたら、カブ主となるのかな(笑)
道に迷ったり、どこかの路上で寝てしまった時間も込みで8時間かかりました。
この距離をたったの200円そこらで運んでくれるのだから
電車は本当にありがたいものです。
昔の人はのんびりと暮らしていたんでしょうね。
時の流れが今現代の方が倍以上早そうです
ここで芭蕉も「涙落とし侍りぬ」と感動を現してますけど、それよりも古人への畏敬の念から、詠まなかったとは…
奥深い^_^