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チバアヒル(令和の馬笑)さん

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奥のカブ道を往く♪...(4)那須湯本~芦野~白河関~白河

走行距離
32km

10月13日 10:00 芦野遊行柳

芭蕉は、那須湯本から遊行柳を見に訪れています。遊行柳は古くから歌枕の地として知られ、西行法師も遊行柳について和歌を詠んでいるので、おくの細道に旅立つ動機である西行の五百年忌としては、ここを訪れるのは必然でした。

現地に行ってみると田んぼの中にポツンとある柳の巨木です。

なお、西行や芭蕉の見た柳はその後何度か植え替えられているそうです。

元禄2年4月20日 芭蕉も遊行柳で1句詠んでいます。

「田一枚 植ゑて立ち去る 柳かな」

翻訳:今は田植えの季節、百姓たちが田んぼ一枚分植えている間、私はこの柳に見とれていたが、ついのまにか田植えも終わって百姓たちも去ったので、私もそろそろ立ち去ることとするので、ここに残るのは柳のみである。

 

右写真は、遊行柳近くの観光駐車場から遊行柳を見た構図で、左のバナナの葉っぱのようなものが植物の「芭蕉」です。芭蕉というと尾瀬の水芭蕉をイメージする人が多いのですが、実は外観はバナナに近いです。ただし、バナナと同じバショウ科の植物ですが品種が番うのでバナナのような実はつけません。

10:20  栃木県と福島県の境に来ました。B地点

昔で言う下野の国と奥州との国境で、ここからがいわゆる東北となります。

今年の高校野球で優勝旗が白河の関を初めて越したというのは、ここを超えたという意味です。

 

白河の関には、県境の左右で栃木県側と福島県側にそれぞれ昔から「境の明神」と言われる神社があります。

芭蕉は奥の細道の書き出しで白河の関を越えて奥に旅立つ期待を込めているのに、いざ白河に来て俳句を残していないのです。代わりにお供の曽良の句があります。

ここで芭蕉区を読まなかった理由として、感動のあまり句が出なかったとか、疲れがたまって句を詠む気力がなかったとか言われますが、「白河の関」は、和歌の歌枕であり、昔から多くの歌人が、都から遠く離れた未知の土地へ下る感慨をさまざまに詠んできたので、歌枕の聖地で詠むことを遠慮したとするのが有力です。同じことはこの後の松島でもありました。

 

心もとなき日数重ぬるままに、白河の関にかかりて、旅心定まりぬ。

「いかで都へ。」と便り求めしも理なり。

なかにもこの関は三関の一にして、風騒の人、心をとどむ。

秋風を耳に残し、紅葉をおもかげにして、青葉のこずゑ、なほあはれなり。

卯の花の白妙に、茨の花の咲きそひて、雪にも越ゆる心地ぞする。

古人冠を正し、衣装を改めしことなど、清輔の筆にもとどめおかれしとぞ。

「卯の花を かざしに関の 晴れ着かな」(曽良)

翻訳:いにしえ人は白河の関を通る時、正装に着替えたという。私たちはそこまではできないがせめて今の時期に咲いている卯の花を頭上にかざして、正装に代えて関を越していこう。

10:45 古代白河の関 D地点

白河の関は、実は全く違う場所に2つあって、芭蕉たちの通った境の明神のある国道294号線旧奥州街道(B地点)と、県道76号線旧東山道にも史跡白河の関(D地点)があるのです。

江戸時代は芭蕉たちの通った境の明神のある国道294号線に関所が置かれて奥州への通行の管理をしていましたが、それ以前の奈良平安時代には蝦夷の南下を防ぐ砦としての白河の関(この関は関所ではなく砦の意味)もありました。

前者を近世白河の関、後者を古代白河の関と区別して呼ばれます。

境の明神のある白河の関を超えた芭蕉たちは、古代白河の関に近い旗宿(C地点)でこの日は泊まりました。

バス停でしか旗宿の場所は確認できませんでした。

11:30 東北新幹線新白河駅前

東京深川を出発した芭蕉たちは、23日目で白河近くまで来ましたが、東北新幹線だと東京~新白河まで1時間20分...私たちは凄い時代に生きてているんだなぁと実感します。

11:45 白河市内 吉田屋

お昼になったので、白河名物割子蕎麦を食べることにしました。

香り高い手打ち蕎麦7段と7種の薬味♪

白河の割子蕎麦は本当に美味しい(*^^*)

記録にはありませんが、芭蕉たちもここを通った時は、割子蕎麦を食べたのかしら? こんなに美味しいものを食べないはずはないと勝手に想像するのでした。

 

さて、腹ごしらえして「奥のカブ道」午後の部に続きます。δ≠(^q^)

コメント(全30件)

ぷっちゃまんさん
こんばんは、俳句とは縁のないぷっちゃまんです。
....にしても翻訳した人はたいしたもんですね!
わたしが翻訳すると、柳さんが勝手に田植えして帰っちゃった?
になりますけど(^^;

100年後には東京から東北までがどこでもドアで3秒でいけます..
きっと(^O^)
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素直な人はぶっちゃまんのように読めます(*^^*)
柳さんというお百姓さんが田んぼ1枚植えたら疲れて帰っちゃった...農業は大変だなぁ~~という句です。(爆)
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Maxさん
こんばんは
白河の吉田屋メモメモ。
では、また
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白河の割り込蕎麦は美味しいです♪
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toshiさん
中身が高尚過ぎて何も言えなくなる私にご容赦ください(ノ∀`)
一つ言えることは、蕎麦が美味そうw
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俳句は自分なりに受け止めればよいので、あえてのコメントは不要です(^^;
白河の割子蕎麦は美味しいですよ♪
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TOMTOMさん
エーと、蕎麦は、2人前?
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1人前ですが、ザルそばの大盛りくらいの量はあります。(^^)
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おはようございます。

学生の頃、俳句や川柳に興味深々で、古文は嫌いだったのに、この分野だけ成績が良かった私…f^_^;
最近のテレビ番組で、素人芸能人が句を詠み、プロが解説採点するものがありますが、番組内容自体は好きなのですが、口の悪い解説者がどうしても好きになれず(昔は放送禁止コードにひっかかりましたね、これじゃぁ)今は見ていませんε-(´∀`; )

こんな素敵な古い街道をトコトコと走っていたら、自然に句の一つや二つが浮かんで来そうですねw
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和歌や俳句は短い文字に出来るだけ意味を詰め込む大喜利みたいなもので、○○とかけて××と解くを言っているようなものです。その心は△△....は人によってさまざま解釈があって良いのです。(^^)
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蕎麦 すきですねー(*^。^*)
出雲そばの感覚だと7段は多いですね
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関東人は蕎麦が好きです。♪
出雲蕎麦も割子蕎麦ですが、もともと信州からお殿様が持ち込んだものがルーツです。ただ、申し訳ありませんが、汁が関西風で甘目なので、私の口には合いませんでした。(--) 蕎麦の汁は醤油が立ったカッチリした味でないと蕎麦の風味が生きません。
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たかぴーさん
芭蕉の葉はこちらでは意外と見かけてましたね〜(^^;
西遊記にも芭蕉扇でなんかかんか吹っ飛ばすのが出てきていたり(^^;
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芭蕉は意外といろいろな所に植えられているので気が付かないだけだと思います。北海道以外なら大体どこでも路地上で大丈夫らしいですから(^^)
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白河の関で俳句を詠まなかったとは・・・せっかく訪れたんだし
何か一句残せば良かったのに~~~(笑)って思うけど多分その
時間帯だけ俳句詠む気分じゃ無かったのかな~?(爆)
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きっと、芭蕉も心の中ではたくさんの句が浮かんだのかもしれませんが、どもが自分の中で納得できずに没になって残さなかったんでしょうね。(^^)
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NINJA BAKAさん
大分県境にある秘境駅、宗太郎駅にバナナの葉っぱみたいな木があります。
だから、女房にこれはバナナの木だ!と教えたんですけれど、今一信じてもらえていなかった。
あれはきっと芭蕉の木なんだろうなぁ。女房にこの日記を見せたら納得しました。で、チバアヒルさん博識って。
僕もそう、思います。
色々な知識に精通されているからなぁ。
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宗太郎駅はストリートビューで確認しましたが、見る限り芭蕉ですね。(*^^*)
何人かの鉄ちゃんのブログでも宗太郎駅の芭蕉と紹介されていました。
謎が溶けて良かったですね。
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ピロンさん
「境の明神」、両側に神社があるのは
何か特別な境界を意味するのでしょうか気になります。
近年、ラーメンだけでなく日本蕎麦の写真を見ても旨そうでなりません。
いよいよ東北入り、この先も楽しみです。
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明神とは神様のことで、国境にある社という意味ですね。
栃木県側(下野国)が玉津島神社、福島県側(陸奥国)が住吉神社となっています。
玉津島神社が女神、住吉神社が男神といわれるので、男女で対になっているとも考えられます。(^^)
山形は蕎麦も旨いですが、ラーメン文化の奥深さと多様性は日本一ですね。
米沢、赤湯、寒河江、新庄、酒田...どれも好きです。♪
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奥のカブ道!上手い事言いますね~
カブでゆっくり巡るのも楽しそう(^^♪
私もあと何年かしたら、カブ主となるのかな(笑)
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旧街道の痕跡を探しながら裏道をちょろちょろ走るにはカブが最高です。♪
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ゴリフさん
昔、飲んだ勢いで吉祥寺から立川までわざわざ歩いてみましたが、
道に迷ったり、どこかの路上で寝てしまった時間も込みで8時間かかりました。
この距離をたったの200円そこらで運んでくれるのだから
電車は本当にありがたいものです。
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カブはガソリン1リットル≒160円で、50-60kmは移動できますから、すごいコスパです(^o^)
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おっぺけさん
田植えが終わるまでのんびりと見てたんですかね。。
昔の人はのんびりと暮らしていたんでしょうね。

時の流れが今現代の方が倍以上早そうです
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江戸時代の武士のお城での勤務時間は3時間程度、10時頃登城して1時頃には帰宅したそうです。
ほとんど弁当を食べに行っていたようなものかもしれませんね(^^;
侍も平和でのんびりしていたらしいです。
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白河の関って、ホント今でもいろんな意味を持ってますね〜
ここで芭蕉も「涙落とし侍りぬ」と感動を現してますけど、それよりも古人への畏敬の念から、詠まなかったとは…
奥深い^_^
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時の移るまで涙を落とし侍りぬ...のフレーズは有名ですね。平泉での一節ですね。
「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」という杜甫の漢詩に重ねて、藤原氏の栄枯盛衰に思いをいたして涙を流したのでしょう。(^^)
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KAWIさん
そもそもの奥の細道を知らないと、迷子になってしまいそうですね。
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おくの細道は、宿場をつないで旅籠に泊まり歩いたのではなくて、俳諧の門弟を頼りに、よく言えば門人に俳句指導しながらみちのくを旅した、別の言い方をすれば門人宅を渡り歩いて居候旅をしたとも言えます。(笑)
次の門人宅に移動するのにも、芭蕉たちは道も不案内なので、多くの場合門人が使用人や案内人を付けて次の門人宅にリレーしていったようです。
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