2019/09/01(日)
一度巡ってみたかった、幻の「五新鉄道」の跡地。秋雨前線を恐れつつも本日敢行した。
写真は「賀名生皇居跡」脇の「親房トンネル」出口(地点F)にて。
「幻となった五新鉄道」(奈良県観光局HPより)
明治時代の末頃、五條市から十津川村を経由し、和歌山県新宮市までを結ぶ「五新鉄道」の計画が持ち上がった。このルートの沿線は吉野杉をはじめとした木材の産地で、それらを鉄道を使って輸送する予定だった。工事は昭和12年(1937年)に開始され、吉野川を横断する橋の橋脚部分や「生子トンネル」の貫通にまで至ったが、太平洋戦争がはじまり物資不足等の理由でやむなく工事は中断される。戦後、工事は再開され、昭和34年(1959年)には五條と旧西吉野村城戸までの路盤工事が完了。五條・城戸間では軌道の設置を残すのみだったものの、経済や社会情勢等の変化により結果的に工事は中断され「五新鉄道」の実現は夢と消えたが、跡地は路線バス専用道(2014年9月末廃止)や大学の研究施設として活躍している。
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