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チバアヒル(令和の馬笑)さん

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奥のカブ道を往く♪...(3)西那須野~黒羽~鍋掛~高久~那須湯本

走行距離
72km

10月13日 06:30

西那須野のビジホを出発し、那須神社に立ち寄りました。神社の隣には大きな道の駅「那須与一の里」が整備され、道の駅の真ん中には那須与一のモニュメントがありました。

那須与一は、源平合戦屋島の戦いで平氏が船上に掲げた扇を馬上から撃ち落した弓の名手として有名です。

その昔、那須高原は、野生馬が多く生息していて、捕まえた馬を飼いならして農耕や騎馬に取引されていたそうで、明治時代まで何カ所かで馬市が定期的に行われていたそうです。

千葉成田空港の土地も江戸時代同じような環境でして、明治になり皇室のための御料牧場になり、その後成田空港のため御料牧場の土地がその用地となると御料牧場は那須に移転しています。

御料牧場がなぜ成田から那須に移転したのかは、個人的に謎でしたが、今回の旅で土地の歴史を尊重した御料牧場の移転であった気がします。

07:00 黒羽(大田原)

足利銀行の店舗が昔ながらの黒土蔵づくりで良い雰囲気でした。

 

元禄2年4月4日から15日まで芭蕉たちは俳諧門弟の黒羽藩城代家老浄法寺図書高勝(俳号桃雪)のところに身を寄せています。

この間黒羽に滞在して俳句会を開いたりあちこち見物したりしています。

俳句の世界では身分の上下関係なく、芭蕉が城代家老(殿様の次の藩のナンバー2)よりも偉かったのですね。(^^;

07:15 修験光明寺行者堂跡

芭蕉が訪れたときには修験光明寺があったそうですが、その後廃寺となり今は案内看板だけとなっています。

 

元禄2年4月9日 修験光明寺に招かれて行者堂を拝する。

「夏山に 足駄を拝む 首途(かどで)哉」

翻訳:はるかに見える初夏の山々の先は目指す奥州となる。これからの旅に、役行者(えんのぎょうじゃ)が高下駄をはいて山道を下ったというその健脚にあやかりたいものだ。

07:45 雲巌寺

木立の中の良い雰囲気のお寺です。芭蕉は、黒羽に着くと真っ先にここのお寺を訪ねています。

↑私は道なりに行ったので先に光明寺に行きました。(^^;

 

元禄2年4月5日 禅の師匠であった住職・仏頂和尚を訪ねる。

「木啄(キツツキ)も 庵はやぶらず 夏木立」

翻訳:寺の柱をつついて壊してしまうというキツツキも、さすがにこの庵だけはつつかず、そのままにしておいたのであろう。昔ながらの小さい禅の庵が破れずに夏木立の中に残っている。

芭蕉は、仏頂和尚に禅を習ったので、和尚のここでの修行の日々を思い、尊い場所だと感じたことを発句したものと言われています。

08:00 鍋掛宿跡

元禄2年4月16日 芭蕉たちは黒羽を出発し那須湯本に向かいました。黒羽から那須湯本に向かう那須原は原野が続いていたと言われています。

馬に乗って那須湯本に向かう途中、馬子の願いで詠んだと言われるのが、

「野を横に 馬牽むけよ ほととぎす」

翻訳:その昔那須野が原で行われたという牧狩りの騎乗の武将になった気がする。ほととぎすの鳴く方に馬子よ馬を引き向けるんだ(命令調)。

元禄2年4月16-17日と高久に連泊したとありますが、どこに泊ったかは定かではありません。

とりあえずJR高久駅に来てみましたが、周辺に集落らしきものは見当たりませんでした。

高久ではおくの細道では記載されていないものの、曽良の記録では1句詠んでいます。

落ち来るや高久の宿の郭公(ホトトギス)(非掲載)

翻訳:高久の宿でホトトギスの声を聞いたが、まるで那須野殺生石の毒気にあてられて、空飛ぶ鳥たちがみな落ちたという逸話を思い出す。

09:00 那須湯本殺生石

観光名所なので説明不要ですね。あたり一帯に亜硫酸ガスや硫黄が漂い、本能的に命の危険を感じます。(^^;

 

元禄2年4月18.19日 芭蕉たちは那須湯本に連泊しています。

高久から那須湯本まで「おくのほそ道」には芭蕉の句は記載されていませんが、曽良の記録では高久のほかに那須でも芭蕉は2首読んでいるようです。

石の香や夏草赤く露暑し(非掲載)

翻訳:殺生石から噴き出す臭いは鼻をつき、青々としたはずの夏草も赤く枯れ、冷たいはずの露も熱いとは、なんともすさまじい感じだ

湯をむすぶ誓も同じ石清水(非掲載)

 

翻訳:那須温泉神社は、京都の石清水八幡宮が合祀されており、参詣して社殿の湯を手ですくうと、両神社にお参りしたことになるというが、まさに湯が結ぶ縁といえよう。

 

芭蕉は、奥の細道の旅では「おくの細道」非掲載の句も読んでいて、それらを曽良が書き記していますがwebi日記でその全部を紹介できないので主なもの以外は以後省略します。

 

さあ、まだまだカブの細道は始まったばかり、まだまだ長ぁ~~いカブ道が続きます。(笑)

 

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コメント(全22件)

パチ10(忍魂!!!!!! )さん
まだまだこれからが本番なのね(笑)

昔は野生の馬がいっぱいいた場所なのね^^ 今じゃ考えられない
けど^^; お馬さん好きなきなこさんが喜びそうな風景だった
のかな~??(笑)
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チバアヒル(令和の馬笑)さん
実は日本列島は、古代から近世まで野生馬だらけで、北海道から九州までたくさんいたようです。私の好きな相馬野馬追も野生馬を捕まえる神事だし、道産子、木曽馬、など地域ごとに固有種がいろいろいたようです。
その頃きなこさんが生まれていたら、幸せ過ぎで悶絶していたかも(^o^)笑
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さすらいのライダーさん
おはようございます!
まだまだ続く「奥の株道」!!
バイクでさえ長く時間のかかる道程を、ひたすら歩いて走破した昔の人って、やっぱり凄い!と思いますw
それにしても見どころがいっぱい(*^▽^*)
心癒される日本の原風景は、やっぱり良いものですね。
日本時に生まれて良かった?(^-^)/
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チバアヒル(令和の馬笑)さん
まだまだカブ旅は序の口です。今回は日本の原風景の中を旅できて心の洗濯ができました(*^^*)
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KAWIさん
チバアヒルさんのような博識でないと書けない日記ですね。
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チバアヒル(令和の馬笑)さん
俳句だけを読むと「ふ~~ん」で終わりで何の感動もないですが、その場に行ってみると色々なことがわかって「あぁなるほど!!」と意味の深掘りができるようになります。
そんな感じたことを書いているだけなので、博識なんてとんでもないです(^^;
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軽量化以上に体重が増えたさん
何泊してるんですか(*´з`)
怪我に任せてそうとう暇してますね

情報がトレビアの泉です、覚えても誰にもマウント取れません!絶対に見ること無いですからね(*´з`)
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チバアヒル(令和の馬笑)さん
ケガで何もできなかった??...リバウンドで一気におくの細道を巡りました。(^^;
この日記でまだ2日目午前中です。
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ピロンさん
若い頃、小山市に数年間住んでいましたが
日光、那須を浅ーく観光ツーリングした程度。
日記に登場した場所をほとんど知らないのがチョット悔しい気がします。
チバアヒルさんの日記を参考にまたいつか訪ねて見たいです。
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チバアヒル(令和の馬笑)さん
日光や那須周辺は、バイクで走っても楽しい場所がたくさんあって、春の桜も、夏の新緑も、秋の紅葉もそれぞれ楽しいです。♪
意外と歴史的なものも多いので、自然だけでなくて旧跡を見て回るのも一興です。(^^)
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ぷっちゃまんさん
殺生石?初めて聞きました(^^;
ガス臭いところが観光地なんて..酸欠や硫化水素よりましですが。

ところで文字の太さや色が変えれるようになったんだ!
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チバアヒル(令和の馬笑)さん
那須は阿蘇山火口や雲仙みたいなものです。(^^)
webiのシステム改修で1日記10chap縛りになってしまいましたが、文字サイズ変更と色付けできるようになったのは良い改善です。♪
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Maxさん
こんばんは
鹿の湯個人的には温度が高いのが難ですが、雰囲気三つ星、価格二つ星、温度一つ星
一番奥の入れる人信じられませんが、あれだけ熱いとガンも治りそうな気がします。
奥久慈ポークはいい店あります。
では、また
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チバアヒル(令和の馬笑)さん
芭蕉は、那須湯元の五左衛門宅に2泊世話になってと記録にあるようで、温泉旅館ではなく俳句の門弟ではないかと推測しています。
鹿の湯に入ったかどうかは記録にないですが、殺傷石を訪ねたとすると鹿の湯に入ったかもしれないですね(^^)
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たかぴーさん
なんかパチさんの日記のたこやきいっちゃん、石清水八幡宮の参道にあります(^^;
なにかの偶然にしても那須に京都、石清水八幡宮の合祀がされてるとはなんとも(^^)

なんかカブだとちょいちょい寄り道もできそうですね〜(^^)
いつかはPCXでのんびり回ってみたいものです(^^;
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チバアヒル(令和の馬笑)さん
たこやきいっちゃんは、機会があったら食べてみたいお店です(^^)
旧街道の路地裏歩きには原2のカブやスクターがうってつけですね♪
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ゴリフさん
そう言われると、斜めに傾いて見切れてるカブが
亜硫酸ガスにあたって力尽きてるようにも見えます
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チバアヒル(令和の馬笑)さん
カブの薄いメッキでは、亜硫酸ガスで錆びてしまわないかと冷や冷やしてました(^o^)笑
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おっぺけさん
カブ(原2)ならではの旅ですね。
当時に思いを寄せての旅

風流とでも言いますか^ ^
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チバアヒル(令和の馬笑)さん
現場、現物、現実...で答え合わせするとおくの細道の謎がいろいろ解けます。(^^)
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くれないの?デブっ!(ター坊改め。略称「くれデブ」)さん
随伴の曾良の記録が、現代に芭蕉の足跡を伝える^_^
秘書の鑑ですね(^.^)
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チバアヒル(令和の馬笑)さん
おくの細道は、芭蕉が俳句や感じたことをすべて書き留めた日記ではなく、あくまで冒頭書き出しにあるように西行法師500年忌にあたり、歌枕の地をめぐり、俳人としての集大成として作成し俳諧関係者に配ったものなので、納得いかない俳句は掲載していないんですよね。
だから、曽良日記が無いと逆に「おくの細道」はある意味で完結していないともいえるのかもしれません。
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