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5台
ウェビ友
59人

本田宗一郎ものづくり伝承館へ/遠州灘気ままなバイク旅5

ツーリング期間
2018年11月25日 ~ 2018年11月29日
車種名
HONDA CB400スーパーフォア
Myバイク
CB400SF-V2
走行距離
126km

秋11月のこと、念願の浜松へツーリングして来ました。
目的はスズキとホンダのミュージアム見学です。

しかし、かなり遠いので途中泊まりながらの寄り道バイク旅です。
これまで箱根・日本平・御前崎・浜名湖と巡りました。
そして今回(4日目)は、以前から行きたかったホンダのミュージアムと遠州森へと巡ります(2018.11.28)

4日目 天竜川から遠州森へ・・・

朝から青空が広がるいい天気になりました。
だが天気は下り坂、夕方から雨が降る予報です。ホンダに立ち寄り状況により帰ることにします。

フロントは3人のおじさんたち、「今日もいい天気で・・・ これからどちらへツーリングですか?」と、
私、「近くにホンダの博物館があるので、昔のバイクを見に行ってきます・・・」
するとおじさんたち3人で、浜松寺内の地図を広げ、場所と道順を教えてくれました。
おじさん曰く、「今日は天皇が来るから通行規制で走れないところがありますよ」と、親切に教えてくれました。

そして市街地を走るも気温が上がり暑いくらいです。
商店に自販機があったので冷たいコーヒーで喉を潤します。

すると、シャッターがガラガラと開き おばさんが開店準備を始めました。
おばさん、「千葉から来たの?これからどこへ行くんですか?」と、
私、「この近くのホンダへ・・・」
おばさん、バイクのネームプレートを見て「ホンダに勤めてるの?」、と話好きです。

おばさん続けて、「今日 美智子様が浜松に来るんですよ」、といいます。
更に、「今日帰るの?駅前からパレードがあるから、その辺でウロウロしていれば見られますよ、私も見に行きますから」と、
しばらくおばさんの話が続きます。浜松の女性は、皆さんフレンドリーです。

それでは交通規制される前に、市街地を抜けることにします。
浜松駅前からは大手通り(152号線)を北へ走ります。

市街地は思っていたほど渋滞はなく、すんなりと郊外へとやってきました。
ここからは遠くの山も見渡せ気分爽快、そんな景色の中ゆっくりバイクを走らせます。

新東名のガードをくぐり天竜川を渡ると、もう間もなく到着です。
だが、伝承館が見当たりません。看板も出てないし!
HPのアクセスマップから、隣にある寺を目的地にナビをセットして出発、

そして路地を走ると、一本裏通りにありました。
今、「本田宗一郎ものづくり伝承館」が目の前に!写真で見た通りの佇まいに念願が叶った感じです。
この建物は、旧二俣町の役場を改装したものらしい。「登録有形文化財」に登録されているという趣のある建造物です。

すると、館長の奥さんかな?出て来て駐車場へ案内してくれました(私が寺の駐車場にいたからかも)
ここ浜松市天竜は宗一郎さんの生まれ故郷、彼の生き方やものづくりの精神を称え後世に残そうと設立されたようです。
運営をしているのはホンダではなく、地元のNPO法人だといいます。

伝承館は2階建て、1階は宗一郎さんのあゆみなどを紹介しています。
その奥はバイクの展示スペース、カブからレーサーまで数台展示されていました。
2階は「ものづくり」に関した書籍と、コミュニティースペースなどになっています。

館内へ入ると、左手が受付です。
館長さんが「ようこそ、いらっしゃいました」と挨拶してくれます。

ここでは期間ごとに企画展が開催されています。
今回は、「ロードレース世界選手権参戦ホンダレーシングマシン」、として2台、
そしてもう一つの企画展、「ホンダ初のOHCエンジン搭載した重量感のある美しい本格的なオートバイ」、としてドリームSA型が1台展示されていました。
そのほか常設展示で、ホンダ初期のバイクが数台見られます。

それでは館長の話も聞き、館内を見てまわります。
ここは1階、受付から振り返ると「カブ」が、そして奥にはレーシングマシンが見えます。
これらは、本田宗一郎さんのものづくり精神の集大成といえるでしょう。

少年時代は、「早弁したさに、昼を知らせる寺の鐘を勝手に鳴らした」という悪ガキだったといいます。
彼は鍛冶屋の長男、親の血を引いたのか子供のころから好奇心旺盛で車や飛行機にかなり興味を持っていたようです。

後に修理工になり ピストンリングの製造に挑戦、そして28件もの特許を取得 まさに天才的、
その3年後には、トヨタ(自)から3万本もの注文が入るほどでした。

そんなある日、苦労して買い出しをしていた妻の自転車を見て、「エンジンをつけたら楽になる」と思いつきます。
そこで無線用の小型発電エンジンを自転車に取付けた「自転車オートバイ」を作成したところ、画期的に便利な乗りものとして大歓迎されます。
その後、ス-パ-カブからレーシングマシンまで開発し、世界をリードするメーカーへと発展させます。

ホンダ カブF型 1952年(昭和27)、 補助エンジン付き自転車オートバイ
空冷2サイクル単気筒 ロータリーバルブ50cc 最大出力1ps

ホンダ第1号「A型」の改良モデルで、白いタンクに赤いエンジンが印象的です。
このF型から、「カブ」と呼ぶようになったといいます。
英語で「CUB」は「猛獣の子供」、小さくてもパワフルだとアッピールするためだったといいます。

因みに、初期A型のエンジンはキャブレーターで有名なミクニ製を改良したもの、
当初 燃料タンクは自宅にあった湯たんぽを代用したといいます。

その後、自社製エンジンに、ティアドロップ型の燃料タンクを取り付けました。
このタンクはホイールで有名なエンケイの前身「遠州軽合金」が作成したもの、
これが、なかなかカッコいい(実車を見たかったが展示されてしませんでした)

A型の欠点はエンジンが股下、 しかもキャブから混合油が吹き返し モンペやスカートが汚れたり やけどしたりすること。
そこで、エンジンをリヤタイヤ側へ移動するという宗一郎さんのアイディアで問題を解決したといいます。

結果、「やけどしない・汚れない」と評判になり、1万台/月と驚異的な売上を達成します。
これでホンダの名が全国に広まりました。

初代スーパーカブ C100 1958年(昭和33年)
OHV 50cc 4.5ps 最高速度75km/h 自動遠心式クラッチ付きリターン3速

絶好調の自転車オートバイ「カブF型」も、エンジンの熱対策が不十分だっため売上は徐々に下降、
そこでホンダは、ドリームE型で4ストロークOHVエンジンの実績を得ていたので、2サイクルエンジンに見切りをつけます。
そして初代スーパーカブC100から、4サイクルエンジンが搭載されるようになりました。

コンセプトは「人々の生活に役立つ喜びの提供」、
発売の2年前、宗一郎さんは経理担当の藤澤氏と、そんなコンセプトを求め欧州へ出かけました。
あちこち見てまわり宗一郎さん曰く、「どこにも無いじゃないか」、
藤澤氏、「無いから作ってくれと言っているんじゃないか」と、
それから創造、研究、開発と精力的に進め ようやく「スーパーカブ」が誕生したといいます。

このスーパーカブは、高校生のころ通学に乗っていたバイクです。
丈夫で長持ち しかも低燃費、行動半径が飛躍的に広がり、走る喜びを教えてくれたバイクでした。

ホンダC型 1949年(昭和24年)
2サイクル単気筒 96cc 3ps 最高速度50km/h
ホンダ初のオートバイ、戦後間もないころなので物資が乏しく タイヤはリヤカーのもの使ったらしい。

当時、多摩川スピードウェイで開催された「日米親善オートバイレース」に参加、結果 クラス優勝を果たす優れものです。
だが、宗一郎さんの求めるレベルには至っていなく、ものづくりへの挑戦意欲が益々高まったといいます。

ホンダドリームSA型 1955年(昭和30年)
4サイクル単気筒 OHC 246cc 10.5hp 最高速度100km/h

車体の大型化とエンジンの高出力化を望む声に応え、宗一郎さん直々の設計で開発したといいます。
ホンダ初のOHCエンジンなど最新技術を投入、フレームは鋼板でエンジンを吊り下げる「プレスバックボーンフレーム」を採用した画期的なオートバイです。

この年に開催された「第3回富士登山レース」に参戦されています。
宗一郎さんは「世界制覇の夢を社員と分かち合う」ことを原則に、ワークスライダーは社員の中から選抜します。

いざ決勝当日、250ccクラスにドリームを3台、125ccクラスにベンリー2台、万全の体制で挑みます。
結果 250ccクラスは優勝、しかし125ccクラスはヤマハの2ストに惨敗。ホンダの挑戦はこれからも続きます。

ホンダドリーム50 1997年(平成9年)
DOHC 4バルブ 単気筒 49cc 5.6ps/10500rpmという高回転型エンジンを搭載、
60年代のレーサー「CR110カブレーシング」をイメージしたロードスポーツバイク、クラシックレーサー好きには たまらない一台です。

前後油圧ディスクブレーキなど本格的、またスタイル・デザインから「床の間バイク」として購入するユーザーもあったといいます。
年間販売目標は8000台、しかし329,000円と高価なことや30km/h規制などで販売は不調、また排出ガス規制に対応できず3年後に生産中止されました。

展示スペースの中央には、レーサーマシンが2台 スポットライトを浴びています。
しかしホンダによると、これまで順風満帆の人生ではなかったようです。

昭和29年のこと、経営難に陥ります。
そのとき藤沢氏の助言で、世界のビッグレースに参戦することを宣言します。
従業員の士気を高めることで、経営の立て直しを図ろうといたらしい。

そこで宗一郎さん 欧州へ渡り、「マン島TTレース」を視察します。
宗一郎さんは衝撃を受けます。マシンは想定の3倍ものパワー、世界の壁の厚さを実感したようです。

まずは組織づくり、それからレーシングエンジンの研究が始まりました。
そして昭和30年から、群馬県の「浅間火山レース」に挑戦します。
これは性能をアピールする最大のチャンスです。

第1回大会、125クラスはヤマハが1~3位を独占、破竹の勢いです。250ccクラスはライラックが優勝、
ホンダは軽量化とパワーで戦うもマシントラブルで完敗、

第2回大会、両クラス共ヤマハが優勝、ホンダはまたしても敗北、

第3回大会、更なる研究に取り組み、ワークスマシンベンリーRC142(125cc)と、ドリームRC160(250cc)を開発、当時としては究極のマシンです。
結果、125クラスは1~4位、250クラスは1~5位を独占、悲願の完全優勝を果たします。
これが世界への突破口になったようです(写真=ヤマハHPより)

その後、イタリアのレーシングマシン「モンディアル」を入手し、レーサー開発は急ピッチで進められました。
そして1960年(昭和35年)、いいよい「マン島TTレース」に挑みます。

125cc 4台で参戦するも、チェーンは伸びてローラーは飛び出し、プラグは電極が飛び ピストンには穴が開く、
河島監督は「なんとしてでも完走しろ!」と指示します。1台でも完走すればデータが取れるからと、

結果、予選は12~15番グリッド、
決勝では6位~11位と完走するも、優勝には及びませんでした。
チーム曰く、「私たちは初めて世の中に出たが、井の中のカエルでした」と、

そして翌年の世界GP第1戦「スペインGP」に挑戦、125ccクラスで見事優勝、これは歴史的快挙です。
宗一郎さん曰く、「失敗のない人生なんて面白くない、歴史がないようなもんです」と、

ホンダRC174 ロードレーサー1967年(昭和42年)
空冷6気筒 DOHC 4バルブ 297cc 65ps/17000rpm 250km/h

ホンダは350ccクラスへも挑戦します。
120度クランクの4ストローク直列6気筒は、振動が少なくバランスのいいエンジンらしい。
世界の2輪チームは、「まるで時計の中身のようだ」と驚かれたといいます。

当初は、250クラスで9戦全勝したという4気筒のRC163をベースにした285ccで戦いました。
しかし、MVアグスタの4気筒に太刀打ち出来ず完敗、

その後改良を加えたこの「RC174」は、350ccクラス負け知らずの6連覇を達成、 技術屋ホンダの底力を世界に示したということです。

ホンダRC181 ロードレーサー1967年(昭和42年)
空冷4気筒 DOHC4バルブ 499cc 85ps/12300rpm 260km/h
GP最大排気量車、マン島TTレース優勝マシン

8年連続優勝の絶対王者・MVアグスタを倒したのが このホンダRC181、メーカータイトルも獲得します。
これで全クラス制覇という偉業を成し遂げました。
世界へ挑戦した本田宗一郎さん、いつまでも語り継がれることでしょう。

ここ2階には地域住民の交流の場として、講座や作品展などが開催できる「ワークショップスペース」が設けられています。
そして宗一郎さんの歩んできた軌跡や格言等々パネルなどで紹介しています。
また、趣味で描いたという絵画も展示されていました。

今回見たかったのは、燃料タンクに湯たんぽを使った自転車オートバイ、高校生のころ欲しかったTボーンフレームのベンリーCS90、そして憧れのスーパースポーツ・ドリームCB72です。
しかし企画展示車両はレーサー2台のみ、見たかったバイクは見られずちょっと残念!
栃木県茂木の「ホンダコレクションホール」には展示されているかも、いつか見に行きたいものです。

鍛冶職人の長男として生まれた宗一郎さんは、親の血をひき手先が器用、そして親の教育により几帳面な性格でした。
そして15歳のとき、東京の修理工場「アート商会」へ年季奉公に、
21歳のときには、非凡な才能が認められ、アート商会浜松支店(写真)」を開業、暖簾分けを果たします。

そこで消防車・ダンプカー・バス、レーシングカーまで作成するようになります。
一人で起業するも、瞬く間に従業員30数名の企業へ発展しました。

29歳のときには、多摩川スピードウェイのオープニングレースに、「ハママツ号」で出場します。
宗一郎さんは益々才能を発揮、「浜松のエジソン」と呼ばれるようになったということです。

町内を流れるは天竜峡で有名な「天竜川」、せっかく来たので川沿いに走ってみます。
天竜高校を過ぎると天竜川が見えてきました。
諏訪湖から流れ出て遠州灘まで213km、日本でベスト10入りする大河です。

塩見渡橋(しおみどばし)で天竜川を渡り、360号線を上流へ向かいます。
曲がりくねった道をヒラリヒラリとコーナリングを繰り返すと、ダムが見えてきました。

ここは船明ダム、「ふなぎらダム」と読みます。
河川敷の工事でもしているのか、ダンプカーが頻繁に行き来していました。

道路部の下は天竜川、このダムには9個の水門があります。
高さ15m 幅20mと見事なもの、これは世界最大級らしい。
その内、2個の水門が下され、流れを遮っていました。

さて、これからどうしようか?
地図を広げると、「遠州森」の文字が目に入りました。
遠州森といえば清水次郎長の子分「森の石松さん」で有名!そこは どんなところか見に行くことにしました。

新東名に沿って県道40号線を東へ走ります。
道路脇は民家、その後ろは田畑が広がる のどかな風景が続いています。
そんな景色を眺めながら、のんびり走ります。

そして遠州森の町に入ると、「歴史民俗資料館」と「遠州森駅」の標識が出ていました。
まずは、遠州浜名湖鉄道「遠州森駅」に立ち寄ってみます。
行ってみると小さな駅で人通りもなくとても静か、タクシーの運転手さんは昼寝をしていました。

次に資料館へ行ってみます。
走り出すも気温が上がり暑いくらいです。

そこでコンビニで冷たい静岡茶を買い、ついでにレジのお姉さんに聞いてみました。
私、「森の石松さん」の生家とか記念館とか ありますか?」、
お姉さん、「この先に大洞院というお寺があるんですね、そこにお墓がありますよ」と、
これは いい情報だ!地図を見ると資料館の先にありました。

そして町外れにやって来ると、「歴史民俗資料館」はありました。
子供たちの声で賑やか、幼稚園の遠足のようです。
館長のお話が終わると、私に「ようこそいらっしゃいました」と、館内へ案内してくれました。

館内には郷土の歴史が分かる生活用品など約1000点も展示されています。
そして館長は、郷土の偉人「鈴木藤三郎さん」の経歴も紹介してくれました。
彼は氷砂糖の製法を発明した人、台湾製糖社長時代は台湾の近代化に貢献したといいます。

壁に「ムターレソンメ」と大きな看板が掲げられていました。
これはメンソレータム、子供のころ家にありました。あかぎれ・ひび割れなどに効くという塗り薬です。
100年以上前、アメリカで生まれたスキンケア商品でしたが、ロート製薬が買収して現在も販売されているロングセラー商品です。

これは「製麺機」、その昔 母親がこれで うどんを作っていました。
当時の農家は収入が少なく、半自給自足の貧困生活です。
そこで政府は「七桁農業」を打ち出します。すなわち年収100万円を目指すというものです。

当時、漁村からオートバイで「魚屋さん」がやって来ます。
農家は現金ではなく、米と物々交換するところもありました。
楽しみは「アイスキャンディー屋さん」、「納豆屋さん」、一番は「紙芝居屋さん」でした。

そして小学校1年生の時、担任の女性先生が「これで何か買って食べながから帰りなさい」、と10円貰ったことがありました。
当時、アイスキャンディー5円、アンパン10円でした。

そのほか、農家の女性の姿や農機具も見られます。
中央にあるのは石油発動機かな?

実家で使っていたのはヤンマーのディーゼルエンジン、大きくて重量があるので移動が大変、
そこで軽量小型の石油式発動機がミツビシから発売されました。
これは回転馬力タイプ、高回転で力持ち、良く仕事をする発動機でした。

そのほか、農家や漁師が使っていた道具や生活用品など所せましと展示されています。
明治や昭和の暮らしぶりが見られる貴重な資料館でした。

次は、「遠州森の石松さん」の眠る「大洞院」へ向かいます。
ナビに誘導され田んぼの中を走っていると、山深くなってきました。

曲がりくねった坂道を登り切ると、そこは参道になっていました。
ここは山の中、松や杉ばかりですが、参道では鮮やかなモミジが迎えてくれます。

参道の突き当りにある赤い「太鼓橋」の手前にバイクを停めます。
この先がいよいよ曹洞宗 大洞院(だいとういん)です。

本尊は麻蒔(あさまき)地蔵菩薩さん、これは初めて聞くお名前 どんな仏様なのだろうか?
脇仏は千手観音さん、ねずみ年の人を一生涯守ってくれるという有難い仏様です。
そして馬頭観音さんは「秘仏」なので拝めません。人を救う仏なのになぜか秘仏です。

太鼓橋の右手に、清水の名物男「遠州森の石松さん」の墓があります。
ここ遠州森町は、石松さんの故郷です。

江戸時代後期の侠客・清水次郎長の子分、馬鹿で喧嘩っ早く、お人好しな石松さんです。
ばくち打ちの彼は勝負運が滅法強かったことから、ちまたでは賭け事にご利益があるといわれ、お墓の石を削って持ちて帰る人が続出、墓はどんどん小さくなってしまったとか、

気っ風のいい石松っつぁん、墓の下から「「あんた江戸っ子だってねぇ、寿司食いねえ」、と名台詞が聞こえてきそうです。

この赤い太鼓橋は「龍門橋」といいます。
古代中国の伝説によると、急流を泳ぎ着いた魚はここから龍になるといいます。
難関の試験を突破する登竜門と同じ意味合いなのかな?
この「龍門橋」は俗世界との境界らしい、出家を意味するのかも、

正面は秋景色、ちょうど「モミジ祭り」が開催されていました。
境内では、お茶が振舞われています。

この寺は紅葉の名所としても人気のようです。
正面の本堂は、モミジやイチョウの紅葉に覆われています。
今日は曇り、日差しがあればもっと鮮やかに見られたかも、

駐車場に戻ると、年配の観光客が話しかけてきました。
おじさん曰く「千葉からですか?遠くから来ましたね。小国神社へは行かれましたか?・・・」
話によると、小国神社はここより紅葉がきれいだといいます。

彼続けて、「私もこれから行くところです、近くですから是非見て行ってください・・・」と、
そこまで勧められては行かない訳はない、早速バイクを走らせました。

来た道を戻ると「町民の森」です。
確かにこの辺りは森の中、大きくうねる道路が続いています。

時刻は午後2時、この時期は日暮れが早いので急ぎます。
スピードアップ!大きく左コーナーを越すと「小国神社」が見えて来ました。

入口付近は車の長い列、数人の係員さんは大わらわです。
第8駐車場まであるというから、かなり人気の神社らしい。
バイクは近くの空きスペースを拝借します。

この神社は縁結びに ご利益があるといいます。
ご神木は「ひょうの木」、樹齢800年といわれる巨木です。
神社によると、大国(だいこく)様が「ひょうの実」を口に当て吹いたところ、その音色に感銘を受けた女神が現れ結婚したといいます。

境内を歩いて行くと、赤い橋が印象的な池がありました。
これは事待池(ことまちいけ)といいます。
この神社の習わしで、お参りして事のままに待ち、成就すれば池に鯉を放して神様に感謝をします。

別名「いぼとり池」といいます。
池の水は「御神水」、これをつけると「いぼ」が取れるらしいが、誰もやっていません。

本殿に近づくと赤い橋が見えてきました。
これは「赤橋」、川沿いに遊歩道が設けてあり皆さん散策をしていました。

ちょうど紅葉の見頃を迎え、1000本もあるというモミジは色鮮やかです。
夜はライトアップもするという静岡県下第3位の人気を誇る紅葉のスポットです。

モミジに ちなんでか?「もみじ守」が売られています。
水引でモミジの葉をかたどったお守りです。800円だがこれは売れているようです。

橋を渡ると拝殿がありました。
重厚感のある立派な屋根、歴史を感じる佇まいです。

御祭神は大国(だいこく)様、神話で「因幡の白うさぎ」を助けたという心の優しい神様です。
食物・財福を司る神で、手にしているのは「打出の小槌」、
この寺では、その「小槌」を売っています。
大が5000円 小が800円、買う人はいませんでしたが、この寺 なかなか商売上手です。

さて時刻は午後2時半、これから家に帰るにはちょっと厳しい。
どこかに泊まろうか、地図を見ると距離的に静岡市にします。
じゃらんネットで検索すると、清水のビジネスホテルに空きがあり予約出来ました。

それでは宿へ向かいます。
県道40号線を南下、道幅は広くはないものの快適に走れます。
しばらく走ると掛川の町、そこを左折すると東海道の掛川バイパスです。
ここは速い速い、スピードアップして前の車を追いかけます。

その先に「道の駅 掛川」があったので休憩にします。
農産物直売所では、トマトやイチゴなど地元の新鮮野菜が売られています。
お土産コーナーではハム・ソーセージ、ジャージー牛のヨーグルトなど静岡県の特産品が並べられています。
そして珍しく店内にコンビニがあります、これは便利!

店内で目立つのは お茶です。
静岡といえば お茶の産地、生産量は3万1千トンで日本一を誇っています(因みに第2位は鹿児島で2万7千トン)
その静岡県の約1割は「掛川茶」が占めているといいます。

さすがお茶の町、お茶製品が作られています。
珍しいのは「茶サイダー」、お茶の香りがするサイダー?これは如何なものか!
ほかに「しずおかコーラ」、「富士山サイダー」などなど静かなブームになっているとか、

道の駅を出ると、大井川です。
その昔は「越すに越されぬ大井川」といわれたようで東海道の難所でした。
家康さんは駿府城の防衛のために橋は造らなかったようです。
今は橋があるので難なく渡れ便利になりました。

そして東海道をしばらく走ると、今日の宿 キヨナミホテルに到着です。
明日はツーリング最終日、清水の次郎長と ビュースポット「さった峠」に立ち寄って帰ることにします。
続きは次回に・・・
(写真=さった峠にて)
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コメント(全22件)

シェフさん
静岡はまだまだ知らない所がいっぱいです。俺も神社行くかな?
  • (0)
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チバアヒル(令和の馬笑)さん
ホンダの栄光の歴史は、挑戦と苦難に満ちていてそれを乗り越えてさらに高みに挑戦していく...まさに「やらまいか精神」ですね。(*^^*)

ホンダジェットも、バイクや四輪の挑戦のときと同じように、他人と違う道から頂点を目指しているホンダイズムに溢れていますね。
  • (0)
  • 返信
おっぺけさん
ホンダに乗るなら、一度はスーパーカブに乗った方が良いかなー(^^)
でもそんなに何台も持てないし、、
でも、カブに興味が湧きました!

ホンダの挑戦、素晴らしいです!
  • (0)
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V-Striderさん
こんばんは~!

今回は、歴史あるバイクと歴史ある商品や建造物のコラボ日記ですね。
右から読むメンソレータムの看板が良い味出してます。

紅葉の時期だけあって赤や黄色の紅葉が綺麗です。
静岡の良い旅が続いたようですね。
  • (0)
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ゴリフさん
茂木のコレクションホールとはまた違った味のあるレトロな博物館ですね

うちのカブは妻が新車で買ってから全然乗らないまま10数年ホコリまみれで放置されていましたが、
油脂類だけ換えてキャブを洗ったら息を吹き返し、普通に走ってます。
  • (0)
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Maxさん
こんばんは
小国神社で女神に会いたいです。
紅葉綺麗ですね。
ホンダの歴史は、本田宗一郎氏、なしでは、語られませんね。
では、また
  • (0)
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杉さん
シェフさん こんばんは
静岡は伊豆以外あまり行く機会がなかったのですが、おっしゃる通り知らないところばかりでけっこう楽しめました。
ほかにもエアーパークや楽器博物館など見どころがたくさんあるようですので、いつかヤマハへ行くついでに見てまわろうかと思っています。
  • (0)
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杉さん
チバアヒルさん こんばんは
念願の「本田宗一郎ものづくり伝承館」へ行ってきましたよ。
確かに宗一郎さんは「やらまいか精神」で世界に挑戦したんですね。今回は伝承館で彼の生きざまがよく分かりました。
ただ車両の展示台数は少なかったので次は茂木へ行ってみたいと思っています。
  • (1)
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杉さん
おっぺけさん こんばんは
ホンダの原点はカブですものね。「人々の生活に役立つ喜びの提供」というコンセプトから生まれたらしいですよ。
できることならおっぺけさんも乗ってみてくださいね、他にはない素晴らしさが感じられるかもしれませんよ♪
  • (0)
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杉さん
V-Striderさん こんばんは
そうなんですよ、古い町並みの中に洋館を思わせる佇まいで存在感が凄いです。
一歩館内へ入ると自転車オートバイがあり昭和初期の世界へタイムスリップしてしまいました。
歴史資料館では自分が子供のころ見たものがたくさんあり、懐かしくもあり楽しめましたよ♪
  • (0)
  • 返信
杉さん
ゴリフさん こんばんは
伝承館は元役所の建物だったようですが、今見ると博物館らしい感じがします。
館内は思っていたより展示台数が少なくちょっとがっかりもしましたが、ホンダの歴史が分かり行って良かったです。
カブは10数年ぶり復帰したんですね、世界の名車ですもの大切に乗ってください♪
  • (0)
  • 返信
さとぺさん
こんばんはー!
遥か昔にタイムスリップしたような旅でしたね。
あっ、そうか!自転車にエンジンを付けた所からバイクの原型は始まったんだって、初めて気づきました!赤いエンジンにカブの文字が、いい感じですね〜。
それから次々と開発を重ね今のホンダに。。携わった人達は、ワクワク!やり甲斐があったでしょうね。
あんなに昔からのバイクを展示しているような所は無いんじゃないでしょうか?これは面白そうです!
  • (0)
  • 返信
杉さん
Maxさん こんばんは
まずは「ひょうの実」を取りに行きましょうか、そしてMaxさんが上手く吹けたら女神が現れるかも知れませんよ♪
今回念願の伝承館へ行って来ました。宗一郎さんのものづくり精神を学ぶことが出来ました。残すはヤマハ、春には行きたいと思っています。
  • (1)
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杉さん
さとぺさん こんばんは
そうなんですよ、いきなり昭和初期に戻ってしまいました。
宗一郎さんは若いころからずば抜けた発想力と情熱の持ち主だったようですが、おっしゃる通り携わった人たちにやり甲斐を与えるとは人づくりの天才でもあったようですね。
今回のツーリングでは大変勉強になりました。
  • (0)
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はらぐっちょさん
こんばんは♪

本田宗一郎ものづくり伝承館、ほかにも静岡には見るところがたくさんありすぎて
時間が足りないですね
静岡は近そうで遠いイメージです
観光では訪れたことがありませんが、いつかのんびり走ってみたいです

ではでは…
  • (0)
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杉さん
はらぐっちょさん こんにちは
千葉から静岡へは箱根を越えてけっこう距離があるのであまり行く機会はありませんでした。
今回は路面凍結の心配のない所ということで東海道に沿ってツーリングすることにしました。
しかし行ってみるとみどころがたくさんあり楽しめましたのではらぐっちょさんにお勧めですよ♪、
  • (0)
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SARAH沙羅(代)さん
こんにちわっ☆
沙羅ですん

本田宗一郎氏の偉大さは不動のレジェンドです!

歴史民俗資料館!!
田舎のおばあちゃん家にまだこういうののこっていたかなぁ・・・

ムターレソンメ!
あたし唇荒れには今でも使ってます~☆
  • (1)
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杉さん
沙羅さん こんにちは
おっしゃる通り、本田宗一郎さんは儲けより人のために尽くす立派な方だったようですね。今回伝承館で勉強になりました。
歴史民俗資料館は懐かしかったですよ、子供のころ使っていたランプなどもありましてね、亡き母を思い出してしまいました。
沙羅さんがムターレソンメを使っていたとは!?まだまだ寒い日が続きますので風邪などご用心くださいね!
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キム(first penguin) ヨガの眠り中さん
杉さん、どうも!
ドリーム50は私も欲しいと思ったのですが、50ccというのがイマイチでした。
直につかまっちゃいますからね。(汗)
創業者の精神を引き継げるかどうか?というのは、その会社の存続にとって死活問題ですね。
本当に自分の会社を見ていて実感します。
私は森の石松は博打が弱いのかと思ってました。(笑)
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杉さん
キムさん こんにちは
ドリーム50はwebikeの投稿日記で知りましてね、こんなレーシーなバイクが市販されていたことに衝撃!でも50ではね、せめて原付二種なら保有したいです。
おっしゃる通り、創業者の精神を引き継ぐということは大事なことですよね。スズキも先代の意思を基に活躍しているようですものね。
私の勤めていた会社も創始者の意を引き継いで品質とカスタマーサービスで取り組んでいましたよ。けっこう厳しかったですが!
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きたきつねさん
コンばんわ。所有マシンがホンダ車2台だというのにホンダの歴史に全く疎かった俺です。勉強になりました。
本田宗一郎氏の思想で作られたマシン達に誇りが持てるエピソードでした。
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杉さん
きたきつねさん こんにちは
念願が叶い本田宗一郎ものづくり伝承館へ行って来ましたよ。小さな建物で展示台数も少ないのですが初代カブ号も見られホンダのルーツが感じられました。
スズキと同じように「やらまいか精神」で常に挑戦し続けてきた宗一郎さん、まさにものづくりの神様ですね。
私もホンダのバイクを愛用しています、いつまでも乗り続けたいものです。
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