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コメント(全5件)
歴史探訪みたいで、為になったな~
あたしゃ昼食にこんな高級店には入れません(爆)今日も牛丼喰ったし!
ん~秘密兵器は、チャリとみた(^.^)間違ったかな~?(北斗風)
撮った写真が、190枚にもなっちゃいまして!
全部見て頂きたいところですが、興味がないと全く面白くないだろうし、どうしようか検討中です。
ロボコンが分かるとは?!(笑)
おかえりなさい。 (^-^)
本当に中吉お揃いでしたね!
上杉謙信公、あの時代にあって、
しかも、かなりの勢力を誇りながらも領土的野心を持たぬまま生涯を過ごしたと言われています。
私、戦国大名が「えらい」となかなか思えないのですが、上杉謙信公は別です。
上杉神社、祭神は謙信公なのですね。
直江状を書いた直江兼続にも興味があります。
中部から東北にかけての日本海側には一度も行ったことがありませんし、
ぜひ一度訪れてみたいものです。
そういえば、キムさんに教わった「攻殻機動隊」ですが、
笑い男の話を、今丁度観終わりました。
「タチコマ」人かと思っていましたが、戦車でしたね。
そして、お恥ずかしい話ですが、タチコマくん達のお話で泣いてしまいました。
結構泣いてしまいました。
キムさんの予想通り、あるいはそれ以上に、彼らが大好きになりました!
私が上杉謙信に魅かれるのは、もともと上杉謙信は僧侶を目指していたのです。
戦とは無縁だったのに、家督争いで引っ張りだされて自らを毘沙門天の生まれ変わりと言い聞かせることで戦に赴きました。
毘沙門天に代わるには、お堂で長い時間座禅をされたといいます。
自ら望まない戦に出るのは、どんな気持ちだったのでしょう。
しかも、上杉謙信はどの戦国武将とも違い、自らが先頭に立ち敵陣に乗り込みました。
他の戦国武将ではありえない話です。
川中島の戦い以降、武田信玄が自ら戦場に立たなかった気持ちも理解できますよね。
まさか敵の大将自らに太刀を浴びせられたのですから。
上杉謙信は死にたがっていたのではとも取れる行いです。
行田の忍城を攻めた時、火縄銃の玉が謙信を避けたとの逸話もあります。
毘沙門天か、あるいは鶴姫の加護なのか?
だから、姫鶴一文字は何度も見ちゃいました。(笑)
上杉謙信が毘沙門天と関わりがあるのは存じていましたが、
そうだったのですね……。
私、もっと謙信公のことが好きになりました! (≧o≦)/
太閤秀吉以外の戦国武将は、生まれつきのアドバンテージが大きいですよね。
もちろんそれだけではないのでしょうが、家の力が大きく、
時代の流れもあった上で、天下を目指した武将がほとんどだったと思います。
謙信公は、そんな時代にあって、必死で自分なりの生き方をされたのかも知れませんね。
お子さんもいませんし、キムさんのおっしゃる「死にたがっていた」というのも
何だか分かる気がしますね。
人というよりも、御仏の世界に踏み込まれていたのかも知れないですね。
下克上すらする時勢で、普通、敵に塩は送りませんよ。
姫鶴一文字、私も見てみたくなりました。 (^▽^)