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ヒロオさん
コメント(全20件)
テレビ番組で
見た覚えあり(ここまで竹に覆われて無かったような)
だいぶ風化が進んでおり立入禁止です。
近くに高速道路が通っており、細かい振動が常にあることが徐々に老朽化の進む掩体壕をむしばんだのかも知れません。
しかも、伐採した竹が目の前に並べてあるのも気になります。
管理が十分に行われていないのでしょうね(>_<)
この時代の方達がいらしたお陰で今の私達がいる事を忘れてはいけませんね
しかし歴史的価値があるのに杜撰な管理や高速を近くに作ったり、人って勝手ですね・・・
ヒロオさんの様にこうして見に来られる方たちが増えればまた違うのでしょうか?
最初の写真はすごくいいですね!
白と翠のコントラスト、素敵です(^^)
もしかしたら「負の遺産」と呼ばれるものかも知れませんね。
激戦地や旧日本軍の施設があった場所には今でも残っているものがある一方で、
どんどんこういったものが無くなっていくのには、日本全体で危機感を感じるべきなのだと思います。
偉そうなことを言っている様で、私も戦時中に生きていた訳ではないのですが、
私の祖父母は広島市で原爆を体験していたので、その話は幼い頃に聞いて育ちました。
私にはいくつか得難い経験がありますが、祖父母のそうした話を聞けたということは
その中の大きな1つになっています。
話が逸れましたが、竹は管理することの難しい植物です。
趣味趣向としての竹林の維持は、実はとても贅沢なことなのですが、放っておくと野放図に広がるそうです。
この掩体壕の周りが竹に覆い隠されていくというのは、自然で望ましいことなのかも知れませんが、
戦争の語り部が少なくなる昨今には、人の目に触れて戦争当時を喚起してもらわないといけません。
この場合、やっぱり国や自治体に管理を頑張ってもらうしかありませんね。
目を逸らしたいけど、見なくてはいけないという矛盾をはらむものに対してあてられた
「負の遺産」という言葉はとても的確だといつも思わされます。
風邪が治まり、やっと思考力が回復したので調子に乗ったためか、長文になりました。
考えさせられる内容、どうもありがとうございました。
私的には航空博物館の一角に再現した方がいい気がしますが、やはり当時のままとはいかないでしょうしね。
やっぱり何でも維持管理て大変ですね。
終戦直後、田畑に飛行機を埋めたという話しを聞いたことがあります。接収や焼却を逃れる為だとか。
良くも悪くも戦争を伝える施設が今も残ることで考える機会になりますね。
日本は本土空襲を受けた国なのです。
私も機会があれば一度見に行きたいです。
こう言う物も有るのですね~
しかし整備してる感があまり無い感じですね、、、、
このまま朽ち果てた方が良いのか?
周りを整備して大々的に見せるのか?
忘れてはいけない事ですが
このまま、そっとしておきたい感じが
個人的にしますね~(´・ω・`)
少し考えてしまう事ですね、、、、
こんばんは
私達の時代は祖父母達から戦時中のことを聞けましたけど
私達の子供達は
この日本で戦争があった!
原爆で沢山の方々が亡くなった!
と言う現実を教科書でしか知りません
二度と起こしてはいけない戦争
この場所は貴重な資料ですよね!
掩体壕と言う話で、コメントを差し上げてしまいました
わが町にも数箇所残ってます・・・でも完全に残ってるのは1箇所ですが
今は農機具の収納場所になってます・・・戦後この周辺の土地を買われたとのことで。
昔は岐阜航空隊鈴鹿飛行場が広大な敷地に有りました。
それでここにはパイロット養成施設や師団が置かれてました
そのせいで各地に掩体壕も作られたようです
当然爆撃対象にもなったようですね
あちらこちらにその遺構も有ります
長くなりましたが、当時の歴史的遺産は我々の世代で保存して守っていかないといけないと思います。
廃墟にもいろいろな理由、種類があると思いますが戦争系はちょっと重いですね…。
まぁ、なにかするわけではないんですが(-_-;)
確かに「この時代の方達がいらしたお陰で今の私達がいる」。
私もその通りだと思います。
こちらの場所は少々分かりにくい所にあるため、見に来られる方も少ないと思います。
なので、荒らされている事はありませんが荒れ放題の状態ですね。
車よりバイクの方が行きやすいので立寄るのも良いかと思います。
緑の竹やぶに白のバイク。
この組み合わせも自分で言いますがナイスです(*^_^*)
「祖父母のそうした話を聞けたということは、その中の大きな1つになっています」。←私も90歳の祖母がいますが、小さな頃から何気ない言葉の中から歴史を教えてもらっていた事もあり、今になってありがたい財産だと感じています。
私の家の近くにも竹林がありますが、ほっておけば大変な事になります(>_<)
自治体の管理で綺麗な状態が保たれるに越した事はありませんが厳しいのでしょうね。
しかしながら「負の遺産」としての管理も必要ではないかと感じました。
逆に考えさせていただくコメント。ありがとうございました。
近くで見ると良く分かるのですが、かなり「風化」しています。
しかも、当時は戦時中と言う事もあり「突貫工事」が見て伺えます。
例えば、川の砂利(少々大きな川砂利)がコンクリに混ぜられているため、強度は砂と比べて脆いと感じました。
確かに維持管理は必要かもしれませんが、掩体壕自体の風化が極端に進んでいるので維持も難しいのではないかと思います。
私の自宅近くに「戦争を伝える施設が今も残っている」ので自身の勉強にもなります。
ふるるさんは、大阪ですので少し走ってくだされば、いつでもご案内させていただきますよ(*^_^*)
いつでも、おっしゃってくださいませ!!
こう言う物があるんですよ!!
私も「綺麗に保存」か「このまま現状維持」を考えると迷ってしまいますが、見学者が勉強できる程度に綺麗にしておき、さらに一定程度「現状維持」にて、そっとしておきたいと思う自分がいます。
確かに、少し考えてしまいますね(>_<)
おっしゃる通りでして、K-Mosさんへのコメントでも書きましたが、私の場合は祖母に教えてもいました。
事実、今の若い子達は教科書が中心で直接聞いて勉強する機会が失われています。
なので、「綺麗に保存」するのも一つかと感じますね(>_<) ←難しいですね
上の日記には書いていませんが、実は八日市の掩体壕は日記以外に近くにもう一つあります。
なので、一つは「綺麗に保存」して資料とする。そして、もう一つは「このまま現状維持」にて時の流れを感じるのも良いかと思いました。
コメントありがとうございます。
「農機具の収納庫」には驚きました(@_@;)
こちらの飛行場ですが、八日市飛行場は1915年(大正4年)民間飛行場として完成しまして、しかし、まもなく陸軍に譲渡され、拡張工事が始り約一六五万平方メートルの飛行場を建設、航空第三大隊が1922年に開隊。
以後増強され1944年明野飛行学校分教場として使用されたと記録されています。
この東近江市でも資料館がありますが、現物の保存も大切だと感じます。
確かに「戦争系はちょっと重いですね」。←私も同感です。
目を逸らしたいと思う自分もありましたが、それでも「負の遺産」についての勉強だと思い訪れてみました。
また、機会がありましたら見学してくださいね!!
いろいろ考えさせられる遺構ですね
悲惨な戦争を再び起こさないためにも
可能な限り語り継ぐことは必要なんでしょうね
さもないと 人は歴史を繰り返すといいますから
「さもないと 人は歴史を繰り返すといいますから」←ドキッとする内容ですね。
確かに、語り継ぐ事で悲惨な戦争を伝えることは、繰り返さないためにも大事だと思います。