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伝統の名車が勢ぞろい!AUTOMOBILE COUNCIL 2018(国産車編)


8月のある日、いつも通りパンとコーヒーで遅い朝食です。
新聞を開くと、幕張メッセで「オートモビル カウンシル2018」が開催されているではないか。

これはヘリテージカーの祭典です。
自動車マーケットをけん引してきた往年の名車が一堂に会して展示・販売するイベントです。

若かりしころ乗っていたコロナやスカG(ハコスカ)も展示されているらしい。
ここには感動の出会いがあるかも、そこでカメラ片手に出かけて来ました。

今回は国産車のポイントのみ簡単にレポートします。
(写真=1965年ダイハツ コンパーノスパイダー)

連日日照りが続き、水瓶である群馬県の八木沢ダムの水位が気になるところです。
外に出ると、日差しがジリジリと肌を刺す感じです。

速歩きで15分、会場の近くまでやってきました。
午後1時、受付へ行くと数人しかいない!どうしたことか?
3日間の入場者は3万人というが、遅い時間だからかも。

入場ゲートを入ると、カラフルなイベント会場が見えます。
そこには自動車メーカー・ヘリテージカー販売店・部品用品メーカーなどのブースが並んでいます。
聞くところによると、約40社が出展し車両は約100台展示しているといいます。

まずは、古き良き日本の名車を見てまわります。
メーカー出展は、トヨタ・日産・スバル・マツダ・ホンダの5社が参加していました。
その他のヘリテージカーブースでも、感動の名車があるらしい。

ここは主催者の展示ブースかな?
4台の旧車が並べられていました。

ダイハツ コンパーノ スパイダー、三菱 コルトギャラン、日野 コンテッサ、いすゞ ベレットです。
どれも子供のころ見かけた懐かしい車ばかりです。

ダイハツ コンパーノ スパイダー 1965年(S40年)
ライトウェイト オープンスポーツカー
新車販売価格 695,000円、ライバルのトヨタスポーツ800より、100,000円高です。

エンジン 直4 OHV 1000cc ソレックス2キャブ
最大出力65馬力 最高速度145km/h ゼロヨンは18.5秒という俊足を誇っています。

デザインは、イタリアのヴィニャーレが担当、フィアットに似ているような気もします。
美しすぎるスパイダー、だが販売は苦戦し トヨタとの業務提携もあり3年で生産中止されました。

日野 コンテッサ 1300クーペ 1965年(S40年)
流麗なロングテールボディーの2ドアクーペ

エンジン 直4 OHV 1300cc SUツインキャブ
最大出力 65馬力 最高速度 145km/h
フロントディスクブレーキ、ラック&ピニオンのステアリングギヤBOXなど、先進技術が投入されています。
新車販売価格 858,000円、ライバルのフェアレディー1500より、22,000円安い設定です。

コンテッサとは、イタリア語で「伯爵夫人」のこと。
デザインは、イタリアの天才デザイナー・ミケロッティによるものです。
ヨーロッパ調で気品のある車体は、まさに伯爵夫人と高い評価を得ました。

だが当時の小型車は、フロントエンジンが主流、
RR型(リヤエンジン・リヤ駆動)のコンテッサは、売り上げが伸びません。
そして日野はトヨタ自動車と業務提携、その翌年(1967年)生産終了となりました。

三菱コルト ギャランAIIGS 1970年(S45年)
お堅い三菱が斬新なデザインで登場、世に問うスタイリッシュスポーツセダンです。

エンジン 直4 SOHC 1500cc SUツインキャブ
最大出力 105ps 最高速度 175km/h
新車販売価格 721,000円

流行の先端をいく「ダイナウェッジライン」は、イタリアのデザイナー・ジウジアーロが提案したものです。
斬新なスタイルが評判になり、世間の注目を浴びました。

各部のデザイン、ハンドリングや操縦性、そしてエンジンもライバルを上回るほどらしい。
当時、サファリーラリーで優勝を果たした510フルーバードと同等レベルという優れものです。

いすゞ ベレット 1500セダン 1966年(S41年)
先進的な技術とヨーロッパ調の美しいスタイリングは、日本を代表する一台です。

エンジン 直4 OHV 1500cc
最大出力 68hp 最高速度 150km/h
新車販売価格 680,000円 ライバルのブルーバード1200FDX(660,000円)とほぼ同価格です。

国産車では いち早く四輪独立懸架を採用、フロントは高価なダブルウィッシュボーンです。
その他、オートマチックトランスミッション・ラックアンドピニオン式ステアリグギヤBOX・フロアシフト・セパレートシートなど数々の先進技術が搭載されています。
日本のスポーツサルーンの歴史は、まさにこの車から始まりました。

後にグランツーリスモ 1600GT 2ドアクーペが発売されます。
圧倒的な動力性能、他に類を見ないボデーシルエット、熱狂的なファンに絶賛されます。
私にとっても感動の出会い、これをきっかけに就職は自動車会社へと決意をしたものです。

その隣には、「トヨタ博物館」のロゴが さりげなく掲げられています。
ここはトヨタ自動車の専用ブースです。

トヨタ博物館(愛知県)は、トヨタ自動車創立50周年を記念して創立されました。
車愛にあふれ他社は勿論のこと、世界の車を約140台も展示し、自動車の歴史を紹介しています。

今回の出展スローガンは、「トヨタ博物館 meets AUTOMOBILE COUNCIL」」です。
トヨタはいう、「こういったイベントで各社垣根を越えて日本の自動車文化を育んでいきたい」と、

トヨタブースでは、トヨタ博物館から出展しています。
日産セドリックをはじめ、各自動車メーカーのパンフレットなども見られます。

トヨタ2000GT MF10型 1966年(S41年)
ヤマハと共同開発した本格的なスポーツカー
トヨタクラウンのM型エンジンをベースに、ヤマハがDOHCシリンダーヘッドを開発

エンジン 直6 DOHC 2000cc
最大出力 150ps

モータースポーツに人気が集まる中、日産はフェアレディーでレースに参戦し、技術力の高さをアピールします。さすが技術の日産です。
そこでトヨタも大手自動車メーカーとしてのメンツを保つため、世界に通用するスポーツカー開発に力を入れます。

そのころ、ヤマハもスポーツカー開発に取り組むも、莫大な費用がかかるため日産と提携します。
だが、その日産も費用負担を重く感じ契約を破棄されます。
そこで困ったにヤマハは、トヨタへ投げかけします。それはトヨタの方針と合うことで共同開発に こぎつけました。

これが完成したイメージリーダーカー・トヨタ2000GTです。
リトラクタブル・ヘッドランプを採用し、ロングノーズ・ショートデッキの美しいスタイリングは海外からも注目の的となりました。
動力性能はというと、つくばサーキットでFIAスピードトライアルで3つの世界記録を樹立します。

1966年、第3回日本グランプリでは・・・
日産はフェアレディーを、プリンスはプロトタイプレーシングカー・R380(4台)を投入しました。
トヨタはトヨタ2000GTで決戦に挑みます。
結果、プリンスR380に続き、トヨタは第3位に、
ポルシェやジャガーを抑えて日本車の優勝にファンは感動、盛大な歓声が湧きあがります。

1967年、第1回全日本富士1000kmレース・・・
トヨタ2000GTで、トヨタ自動車の威信をかけ挑戦します。
結果、スカイライン2000GT・フェアレディー・ポルシェカレラなど強豪を抑え 悲願の優勝を成し遂げます。
世界に「耐久のトヨタ」を証明した瞬間でした。

そして1970年、イメージリーダーカーとしての目的は果たしたとして、トヨタ2000GTは生産終了に。
店頭でお客様にパンフレットを渡したことがある思い出深いマシンです。

トヨタ7(トヨタセブン)初代 1968年(S43年)
日本グランプリ制覇を目的に開発されたトヨタ初のプロトタイプレーシングカー
(ヤマハとトヨタの共同開発)

エンジン V8 DOHC 2バルブ 3000cc NA
最大出力 330ps

1966年、第3回 日本グランプリ・・・
いよいよ、プロトタイプレーシングカーが出場することになりました。
トヨタはレーシングカー開発はしていなかったので、スポーツカー(トヨタ2000GT)で挑みます。
だが、プリンス・R380(3000cc)や、ポルシェなどプロトタイプレーシングカーに惨敗、

そこでトヨタの威信にかけ、レーシングカー(トヨタ7)の開発に全力投球します。
市販車プロジェクトで人員に余裕がなく、ヤマハと共同開発することになりました。

1968年 第5回 日本グランプリ ・・・
トヨタは雪辱を果たすべく、初代・トヨタ7(3000cc)で挑戦します。
待ち構えるは日産、プリンスと合併し 排気量UPした日産R381で迎え撃ちます。
なんと、シボレーの5.5リッターV8エンジンを搭載しています。
結果、圧倒的パワーで日産の勝利、またまたトヨタは惨敗してしまいます。

トヨタ7(トヨタセブン)2代目 1969年(S44年)
トヨタは日本グランプリで優勝すべく、エンジンとシャシを一新しパワーUPした トヨタ7を開発しました。

エンジン V8 DOHC 4バルブ 5000cc NA
最大出力 530ps

1969年 日本グランプリ・・・
前年、3リッターのトヨタ7で負けたトヨタは、日産と同じ5リッターマシンで戦います。
しかし、日産は更に排気量UPしたシボレー6リッターエンジン搭載のニッサンR382を投入しました。
結果、日産が1位ー3位を独占し日本グランプリを制覇します。トヨタは3位ー6位に終わりました。

トヨタ7(トヨタセブン)3代目 1970年(S45年)
トヨタは日本グランプリ必勝を目指し更なる改良を施します。
製作費用は、なんと2億円ともいわれています。

エンジン V8 DOHC 4バルブ 5000cc ツインターボチャージャー搭載
最大出力 1000ps以上 最高速度 363km/h 燃費 800m/リッター
まさにモンスターマシンです。

ところが、日産は排ガス対策の研究を理由に日本グランプリ不参加を表明、
トヨタは、レーシングドライバーの川合稔の事故死などにより参戦は見送られました。

1000馬力ともいわれたモンスターマシン(トヨタ7)は、幻と消えてしまいます。
日産の新型R383は、V12型 6リッターツインターボ、900ps
両車の戦いが見られなかったのは、誠に残念です。

トヨペット コロナ 1500デラックス(RT40型) 1964年(S39年)
フロントノーズのアローラインが特徴的な3代目コロナセダン

エンジン 直4 OHV 1500cc ツーバレルシングルキャプ
最大出力 70ps 最高速度 140km/h 前後ドラムブレーキ
新車販売価格 644,000円

開通したばかりの名神高速道路で、10万キロ連続高速テストを実施しました。
見事完走して、高速性能と耐久性をアピールします。

ホワイトリボンタイヤとバンパーガードを装備し上品でスポーティーなスタイルに人気急上昇です。
販売台数はブルーバードを抜き第1位に、国民的ファミリーカーの代表となりました。

私が最初に買ったのがこの車、富士スバルラインはパワー不足、ローギヤで登ります。
万座ハイウェイはデコボコ道、そして友と万座温泉で一泊した思い出があります。

トヨタ パブリカスポーツ(オープン) レプリカ 1962年(S37年)
航空機の技術を応用した研究実験車(幻のライトウェイトスポーツカー)

空冷 水平対向 2気筒 OHV 700cc
車両重量 566kg

解説によると、空気力学に基づき空気抵抗の低減に挑戦したといいます。
スライド式ルーフのキャノピーにより、スムーズな空気の流れが実現できました。

自動車ショーに出展すると大きな反響を呼び、発売を望む声も届きました。
そこで3年後、「トヨタスポーツ800」に姿を変え発売されました。

トヨタスポーツ800 UP15型 1965年(S40年)
空力特性に優れた2シータースポーツカー

エンジン 空冷水平対向 2気筒 OHV
最大出力 45ps 最高速度 155km/h 車両重量 580kg
(ライバル ホンダS800 直4 DOHC 70ps 160km/h 720kg )
車販売価格 597,000円

1965年の第1回鈴鹿500キロレース・・・
参戦するは、スカイラインGT・フェアレディー1600・ホンダS600・ロータスエランなど強豪揃いです。

各車、DOHCエンジン音を轟かせ飛び出して行きます。
周回を重ね、ピットは急に騒がしくなります。
だが燃費のいいトヨタスポーツ800は、ピットインせず ひたすらパタパタと走り続けます。

気づくと、トップを独走、そのままチェッカーフラッグが振られました。
本田宗一郎さんは激怒します。「DOHCなのになんで勝てないんだ!OHVに」
エンジンパワーと、徹底した空気力学の戦いでした。

トヨペットクラウン(初代) RS型 1955年(S30年)
日本初の純国産設計で開発された乗用車

直4 OHV 1500cc 48ps
最高速度 100km/h
全長4285mm・・・現在のカローラ(4400mm)より小さい

価格は101万5千円、当時の国民年間所得の約12.5倍です。
これは土地付き一戸建てが買えるほどの値段、庶民には高嶺の花です。

1947年、GHQは乗用車の生産を許可しました。
自動車産業は復興に向かうも、欧米に比べ技術水準の低いものばかり、
メーカー各社は、欧米から技術を学ぼうと提携を進めました。
日産はオースチン(イギリス)と、日野はルノー(フランス)と、いすゞはヒルマン(イギリス)などとです。

だがトヨタは純国産車にこだわり、自力で開発する道を選び意欲を燃やします。
そして研究を重ね、発表したのがこのクラウンでした。

当時は砂利道が多く、長時間走行テスト行い、高級車らしい性能が保たれるよう苦心したといいます。
デザインや、ダブルウィッシュボーンサスペンションなどの先進技術を投入し、世間から大歓迎されました。

真空管式カーラジオやヒーターを装備、乗り降りし易い観音開きドアを採用
3速コラムマニュアルミッションは2速と3速にシンクロメッシュ方式です。
それまでシフトチェンジはWクラッチで熟練を要しますが、このクラウンは誰でも簡単に行えるようになりました。

日産 セドリック スペシャル 1963年(S38年) トヨタブースより
ボディーサイドには、「TOKYO 1964」のマークが付いています。
1964年の東京オリンピックでは、このセドリックが聖火ランナーを追走しました。

トヨタ博物館では、「元気!!ニッポン 1960s!」をテーマに企画展を開催しています。
1964年には東京オリンピックが開催され、日本は著しい経済成長を遂げました。
希望に満ち溢れた1960年代、そんな時代の空気とエネルギーを感じていただいく企画です。
そういったことから、オリンピックパートナーのトヨタから出展です。

エンジン 直6 OHV 2800cc 115馬力
ホイールペースは2835mm、余裕の室内空間を確保しています。

戦後、国産車で初めての3ナンバー普通乗用車、
高級車にふさわしい動力性能を誇った日産を代表するフラッグシップモデルです。

日産 ダットサンセダン 1000 210型 1958年(S33年)
日産初のOHVエンジンを搭載した110型ダットサンの後継車

エンジン 直4 OHV 1000cc
最大出力 34ps
全長 3840mm 車両重量925kg
(参考 日産マーチ 3825mm 950kg とほぼ同サイズです)

輸出を考慮してフロントは曲面ガラスを採用、
1958年には、耐久性のテストに「オーストラリア一周ラリー」に挑みました。
なんと19日間・1万6千km走破しクラス優勝、世界に優秀性をアピールしました。

私の親は農家でしたので、このダットサントラックを使用していました。
小学生の私は座布団を重ね、庭で運転の練習です。
そんな幼きころの思い出が残る一台です。

日産プリンス スカイライン2000GTR 1970年
日産と合併後初のセダン、数々のカーレースで活躍したスーパースポーツセダン

エンジン S20型 直6 DOHC 4バルブ
最大出力 160ps 最高速度 200km/h

エンジンは、プリンスR380のGR88型を基に開発されたといいます。
ミクニ製ソレックスキャブ・ポルシェタイプトランスミッション・タルポ型フェンダーミラー・6連メーター・・・
走るために生まれたスポーツセダンです。

ここから「スカイライン伝説」は始まります。
1969年、「JAFグランプリTSレース」でデビュー、強豪トヨタ1600GTに辛うじて優勝、

1970年には、ソレックスからルーカスのフューエルインジェクションに変更、
その後は快進撃を続け49連勝します。
「勝って当たり前、負ければニュースになる」とまでいわれるほどでした。

1971年、「富士ツーリスト・トロフィーレース」・・・
メインスタンド前を疾走するGTR、すぐ後ろにサバンナロータリーが襲いかかります。
次の周回ではサバンナが先頭を走ります。まさかの敗北、GTRの連勝は49でストップしました。

1972年、「富士GCレース」では、トヨタ1600GT・サバンナと激闘、
風雨の中、高橋国光の腕によりGTRは辛くも勝利、通算50勝目です。
1972年、「日本グランプリ」ではサバンナ・カペラのロータリー勢に完敗、その後も苦戦を強いられ撤退しました。

49連勝という輝かしい記録を残したスカイラインGTR、
60~'70年代の国産スポーツカーで最も人気の高いモデルの一つです。

私も2000GTに憧れ、プリンス店へ駆け込んだものです。
伸びやかなエンジン音、流麗なスタイル、その気にさせるコクピット、今までの中で最高の車でした。

走りはまさに猛烈、キャッチフレーズは「羊の皮を被った狼」です。
だが、これは若い女性向けでもあったようです。
「普段は優しそうな男性でも、実は中身は凶暴な狼みたいなものだから、気をつけなさい」という意味もあったらしい!

日産 NISSAN FORMULA E
「FIAフォーミュラE」に参戦予定のエレクトロリック フォーミュラマシン
車両重量900kg(内 バッテリーは385kg)

係員によると、最新のバッテリーやパワートレインを採用しているらしい。
優れた空力性能が特長で、まさに電動の鳥が超音速で飛んでいるようだとも。

2018年12月のサウジアラビア戦を皮切りに、ニューヨーク戦まで12都市で開催されます。
日産は電気自動車の先駆者、良き結果を期待しています。

マツダ ファミリア 1500 XG 1980年(S55年)
一世を風靡したマツダ初のFFコンパクトカー

エンジン 直4 OHC 1500cc
最大出力 85ps

サスペンションは4輪ストラット、抜群の操縦安定性を確保しました。
シャープな外観と軽快なハンドリング、快適な室内空間が評価され、第1回・日本カーオブザイヤーを受賞、

映画「黄色いハンカチ」で、武田鉄矢がドライブしたのがこの車、
特に赤のXGFはスポーティーで、若者から絶大な支持を受けたといいます。

この年は第二次オイルショックで自動車販売は低迷する中、ファミリアは快進撃を続けました。
強豪のトヨタカローラ・日産サニーを抜き、月間販売台数第1位を達成しました。

マツダ MAZDA 323 4WD 1989年(H1年)
世界選手権ラリーに出場したレースカー
1989年、ニュージーランド・ラリーで総合優勝を果たしました。

ベース車両 6代目ファミリア
1600cc ターボ 260ps

1991年、モンテカルロラリーでは、パワー不足により惜敗、
第1位 トヨタセリカ GT-Four 2000cc

そこで1800cc 275馬力へとパワーUPした新型323へバトンタッチ、
だが、ライバルに比べまだパワー不足、成績は5位6位と低迷!
折しもバブル崩壊、会社の資金難のためレースから 泣く泣く撤退しました。

マツダ 魁(kai) CONSEPT
次期「アクセラ」ともいわれているコンセプトモデル

流れるような美しいプロポーションは力強さも感じられます。
次世代エンジンといわれる「スカイアクティブ X」を搭載されているといいます。

燃焼方式は、マツダ独自のSPCCI(火花点火制御圧縮着火)というらしい。
かつてないほどシャープなレスポンスと、爽快な加速感が楽しめるというから、これから楽しみなエンジンです。

スバル レオーネ 4WD エステートバン 1972年(S47年)
世界初のSUV・4WD車

エンジン 水平対向 4気筒 1400cc
最大出力 77ps

スバルのSUVは1970年、東北電力から現場巡回用車両の開発を依頼されてから始まったらしい。
当時は「ジープ」を使用していたが、乗り心地が悪く作業員の負担となっていました。

そこで「スバル1000バン」を改造して造った4WD車が好評でした。
後に、市販化したのが「レオーネ4WDエステートバン」です。
スバルは、4WD車のパイオニア的存在です。

レガシー グランドワゴン 1995年(H7年)
オフロードも走破性抜群のマルチパーパス・ツーリングワゴン

エンジン 水平対向 4気筒 4カム4バルブ 2500cc
最大出力 175ps

1989年(H1年)、スバルが社運を賭けて開発したレガシー(セダン・ワゴン)が発売されました。
スポーツセダン並みの走行性能と、積載性からワゴン車が爆殺的人気に。

レガシー人気にライバル各会社も スポーティーワゴン車を投入します。
トヨタ・カルディナ、ホンダ・アコード、日産・プリメーラ等々、だがスバルは追従を許しません。

スバル 初代フォレスター SF型 1997年(H9年)
ラフロード性能を高めたSUV(スポーツ ユーテリティー ビークル)

エンジン 水平対向 4気筒 ターボ 2000cc
最大出力 250ps

排気音は不等長エキゾーストマニホールドにより、スバル独特の「ドロドロ」音が人気、
車高は200mmと高くラフロードの走行性は抜群です。
ターボパワーとワゴンの利便性も兼ね、最強のマルチパーパスワゴンです。

スバル 360 ヤングSS 1969年(S44年)
日本最初の国民車・スバル360のスポーツモデル

エンジン 空冷2気筒 2サイクル
最大出力 36ps

当時 車は夢の時代、そこで通産省は乗用車の普及政策を打ち出しました。
庶民が手頃な価格で買え、しかも小型で高性能なクルマというものです。
難しい課題に敬遠するメーカーが多い中、スバルは航空機技術を生かしスバル360を完成させます。

新発売は1958年、私が小学生のときでした。
一時期、家族が所有していたことがあり、思い入れのある車です。

ここはホンダのブース
ショーテーマは「LEGEND History」、歴代のレジェンドを展示します。

初代レジェンドは1985年(S60年)に登場、ホンダが挑む高級乗用車です。
高級車のノウハウのないホンダは、ローバーやジャガーなど高級車部門を持つブリティッシュ・レイランド(イギリス)と共同開発したといいます。
当時、国産車は豪華路線、レジェンドはシックで英国風です。

ホンダ 6代目 GOLD WING(GL1800)
ホンダのフラッグシップモデル、堂々たるロングツアラー

エンジン 水平対向6気筒
7速DCT 電動スクリーン
希望小売価格 3,315,600円

ゴールドウィングのデビューは1975年、そして今6代目に、
新開発の水平対向エンジンや独自開発のフロントダブルウィッシュボーンサスペンションなどを採用した長距離ツアラーです。

今回は往年の名車が勢ぞろい、昭和生まれの人には当時の思いが蘇るでしょう。
車は高根の花、財産でもありました。

政府の国民車構想で、スバル・パブリカが登場し、サニー・カローラの発売でマイカー時代が到来です。
そしてバブル期、国民の所得向上に伴いハイソカーブームに、コロナよりマークIIの方が売れる時代に。

今思えば、各社初めての取り組みで個性豊かな車ばかりでした。
夜道でもテールランプの形で車種が判別できました。
そんな自動車の歴史がみられるのが、このイベント(オートモビルカウンシル)です。
次回は外国車をレポートします。
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コメント(全38件)

Maxさん
こんにちは
昭和の車、見る分にはいいのですが、乗るのは大変そうですねー^-^-
のるなら、スバル360がいいです。それかジムニ―2ストですかねー
では、また 1534816815213M.jpg
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おっぺけさん
良い時代ですね!

私が車の免許を取得した時代は、
スカイラインはジャパン
セリカはXX
マーク2、チェイサー、クレスタ3兄弟
スバルはアルシオーネ♪

今年の旧車天国が待ち遠しい(^^♪
  • (0)
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シェフさん
我が家の初マイカーコルト800です。壊れたミゼットを2台直して売って、秋葉原でTVの部品買って作っては売ってやっと中古のコルトを買ったそうです。御殿場から山中湖に行く籠坂峠だとオーバーヒートするので富士宮から周ったそうですよ 1534819944377M.jpg
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麺屋家元さん
こんにちは。

何台か、かつて所有してたクルマや現在所有してるクルマがあります。

主に親父から引き継いだ道楽ですが、徐々に処分を始めてます。もう私の子供らには引き継いでいきませんよ。
お金の問題じゃなく、好きな人に維持してもらいたいから。。。今のうちに、、ですね。
  • (0)
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杉さん
Maxさん こんにちは
確かに乗るのは大変でしたね。始動はチョークレバーを引いてセルボタンをプッシュ、しばらく暖気運転しないとエンストしてしまいます。
ギヤチェンジはWクラッチでエンジンとミッションの回転を微妙なアクセル開度で合わせます。これは熟練の技、失敗すると「ガガガッ」とギヤ鳴りがします。
当時、不凍液が無いので、冬はお湯を入れてエンジンをかけます。夜は凍ってしまうので帰ったら抜きます。当時のドランバーは皆さん達人です。
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くれないの?デブっ!(ター坊改め。略称「くれデブ」)さん
杉さん、こんにちは。
猛暑の中、外の暑さよりも熱い解説ありがとうございます。
本当に一時代を築いたレジェンド車が勢揃い(^.^)
一台一台に造り手の情熱とユーザーの想い出がギッシリですね(^.^)
もう少しで平成も終わり。昭和はますます遠くなりますが、レジェンド車の輝きは変わらないですよねー(^.^)
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杉さん
おっぺけさん こんにちは
おっしゃる通り、経済成長真っただ中 作れば売れる時代でしたね。
仕事は忙しかったですが先行き不安ゼロ、給料は確実にUPします。車買ってドライブ、夜は呑み歩いてお金使いまくり。何をしても楽しかった時代でした。
セリカも楽しい車でしたね。私はXXではなく1600クーペSTでしたが、シートが低くスポーツカー気分で走っていました。
当時マークIIが絶好調でビスタ店をオープンしてクレスタを販売したんですよね。6気筒1G型は傑作エンジンでした♪
  • (0)
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杉さん
シェフさん こんにちは
三菱コルト子供のころ見かけましたよ、確かファストバックスタイルもあったような気がします、懐かしいですね。
峠でオーバーヒートしてしまったんですね。そのころ、路上でボンネットを開けている車をよく見ました。
キャブの不具合か、オーバーヒートが多かったようですね。特にラジエーターホースの亀裂も見かけましたよ。ゴム製品の品質が低かったですものね。
貴重な写真ありがとうございます。可愛いおぼっちゃんはシェフさんでしょうね(^^♪
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チバアヒル(令和の馬笑)さん
杉さんのレポートと説明を見ていると生きる日本自動車史みたいです。

さすがクルマとともに人生を歩んでこられた方の造詣の深さに恐れ入ります。(^^)

プリンスやイスズなど名車をたくさん作ったメーカーも撤退や合併し、ロマンだけでは生きていけない業界の厳しさもうかがい知れます。

バイクメーカーはこれ以上に厳しい淘汰のなかを生き残っているんですからスゴイです。
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杉さん
麺屋家元さん こんにちは
旧車を複数台所有しているとは凄いことです。でも、維持するには時間と費用がかかるでしょうね。
昭和生まれには懐かしく思えますが、若い人にはかえって新鮮に感じるようですよ。
今回のイベントでは若い人も結構来ていましたよ。デザインやステアリング、フェンダーミラーやメーターなど興味深かそうに見ていました。
日産の係員によると、座間市に「日産ヘリテージコレクション」があるというので、いつか行ってみたいと思っています。
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杉さん
ター坊さん こんにちは
車は私の青春そのものです。16歳では車の免許はとれないのでバイクの試験に挑んだ次第です。
おっしゃる通り、技術者たちが試行錯誤して造った名車、私には光輝いて見えました。
レベルの低い時代、マイナーチェンジのたびに一歩一歩改良されましたね。
エンジンパワーも向上、スタイルも徐々に斬新になりユーザーは熱いまなざしで見ていました。憧れと希望に満ちた素晴らしい時代でしたね。
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NINJA BAKAさん
愛知県長久手にあるトヨタ自動車博物館、名古屋に住んでいるときに会社の研修でも個人的にも行きましたよ。あそこはただただスゴイ!
1階のエスカレーター上り口に古めかしい車が飾ってあって、エンジン下の床にオイルバットが置いてある。
なんでこんな飾り物にオイルバットを置いているのか尋ねたら『当博物館にある車両は全て動きます。月に1回裏のコースを走らせています。』と言われた時はたまげましたねぇ。
その古めかしい車はトヨタが初めて量産した“豊田(とよだ)AA1号車”でした。
とよたではなくって“とよだ”なんだぁと知ったのもこの時。
フロントグリル上のエンブレムは“豊田”の漢字でしたもん。
すごい博物館があるもんだと女房ともども感激しましたね。
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杉さん
チバアヒルさん こんにちは
勿体ないお言葉、ありがとうございます。
幼いころ、内気で友達のいない私は親の車を庭で動かし、これほど面白いものはないと、すっかり自動車の虜になってしまいます。
就職も車以外は考えられません。早速、自動車会社へ面接です。
華々しい自動車業界もバブル崩壊で生き残り合戦がさらにし烈になってきましたね。でも走る喜びがあるより進化した車の登場を期待したいですね。
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杉さん
NINJA BAKAさん こんにちは
トヨタと関連のある企業で研究に取り組んでいたと伺ったことがありましたよ。
私も在職中はトヨタの日進研修センターで2泊3日の研修を数回受けたことがあります。「ムダムリムラを省け」と効率化「トヨタ方式」を学びました。
なのに、トヨタ博物館は一度行ったことがありません。とよだAA1号車が実際に動くとはビックリです。
私もいつか見に行きますよ。そのときは、私も女房を連れて行くつもりです。会社で仕事に打ち込めたのも女房のお陰ですものね。
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SARAH沙羅(代)さん
こんばんわっ☆
沙羅ですん

旧車・・・カッコいい!
興味魅かれます!

でも維持するのは大変そうですネ^^
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杉さん
SARAH沙羅さん こんばんは
私が青春していたころの車がたくさん見られ、もう感激しまくりです。
運転するのが大好きで夜の国道を8トラックカートリッジのカーステレオを聞きながら走ったものでした。
好奇心旺盛な青年は知らない街を見たく休みの日は各地へと車を走らせていました。男鹿半島の夕焼けも感動的でしたよ。
そして婚活は車が武器、湘南の渚ドライブウェイ、絶景の西伊豆ドライブとカッコ良く走ります。もう車の無い生活は考えられませんでした(^^♪
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ときどきさん
杉さん

こんばんは。
懐かしい車ばかりですね。
なぜか私はホンダライフ、Z、ステップバンなど
ホンダの軽自動車の記憶が多く残っています。
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taizoさん
杉さん、こんばんわ!
実は、私の家には、私が中学二年になるまで車がありませんでした。本の中で憧れた車達が一同に集まっているんですね!実車で見たいな~!
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はらぐっちょさん
こんばんは♪

車もバイクもあまり詳しくないあっしですが
この杉さんの日記で多少知識が増えました
旧車欲しいですけど、車を維持するにはたくさん稼げないと無理ですねw

駄菓子菓子、この日記、杉さんの熱を感じました

ではでは…
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ゴリフさん
このフォレスターや2代目レガシイなんかはつい昨日出たばかりのイメージですが、
もう20年以上前の話なんですね。
昔は20年前の車なんて骨董品でしたが、
この時代の車は20年落ちでもまだそのへんを普通に走ってますし、
消耗品だけ替えてれば人間より長持ちしそうです。
親父の48万km走ったレガシイを下取りに出したら、まだ一応値段がつきました。
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たいゾーさん
杉さん、おはようございます。
名車がずらりですね。
杉さんの楽しそうな顔が目に浮かびます。(*^^*)
興奮しすぎて鼻血出ませんでしたか(笑)

自分の親は特に車好きじゃなかったので、何でもいい派でした。
覚えてるのは、ファミリア、サニー、タウンエースだったかな?

トヨタ2000GTはほんと纏まったいい車ですね。(^^)
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杉さん
ときどきさん こんにちは
その日は暑い日でしたが、若いころ夢中になっていた車が展示されているとのことで出かけて来ました。
会場には年配者ばかりかと思っていましたが、けっこう若い人も来場していて驚ぎです。古臭いものが逆に新鮮に見えるのかも知れませんね。
ホンダは歴代レジェンドを展示していました。会場からは「今見ても美しい」といわれたらしいですよ。
ホンダライフ、覚えていますよ。当時は16歳で軽免許が取れたので、ライフZに乗る若い人が多かったですね。
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杉さん
taizoさん こんにちは
同感ですよ、私も毎日本を眺めいつかは乗りたいと思っていました。
実用車からスポーティーな車にモデルチェンジされ憧れました。私は田舎に住んでいましたので、都会の風景をバックに車がより美しく見えました。
そして車の究極はスポーツカーです。世はハイウェイ時代を迎え、スポーツカーで名神高速を走ることが夢でした。
そんに当時の車が今目の前にあり、青春時代にタイムスリップしてしまいました(^-^)
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杉さん
はらぐっちょさん こんにちは
私もあまり詳しくないですが、親が野菜を運ぶためにトラックを所有していましたので興味はありました。
親が市場へ行くときは、駄々をこねて助手席に乗せてもらいました。
エンジンのかけ方、ギヤチェンジの仕方、曲がり方、止まり方など、食い入るように見ていたものでした。
そして待ちに待った18歳、自動車試験場へ行き免許取得、思わずバンザイしてしまいました(^_^)v
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杉さん
ゴリフさん こんにちは
そうなんですよね、私も見た限り今の車と遜色ないです。
当時ですでに車としてほぼ完成していたんじゃないでしょうか。
その後は安全性とか排ガス処理や燃費向上の最新技術等の競争になったようですね。
これから自動運転の時代が到来するでしょう。走る喜びはそのままに、ドライブ帰り疲れたらスイッチオン、自動運転で家路につきます。これが理想のカーライフかも知しれませんね。私は歳を取ったから!
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杉さん
たいゾーさん こんにちは
一歩会場に踏み入れると、そこは往年の名車のパラダイス 私にとってはまさに天国、思わず駆け出してしまいました。鼻血が出そうでしたのでハンカチで覆いましたよ(笑)
各自動車メーカーは歴代の名車を展示して自動車の発展を紹介していました。
自分が子供のころ走っていた車が今目の前にあるとは感激でした。
トヨタ2000GTはあまり興味はありませんが、思い入れのあるスカイラインはいっとき離れられませんでした。サニークーペも好きですが見当たらず残念!
いつかヤマハとホンダのミュージアムへ行きたいと思もっています。
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まりこいさん
杉さんこんばんはです(^-^)
見習いの時、先輩が「レガシーツーリングワゴン」の納車時の
嬉しそうな顏を思い出し懐かしいと思いました(*'▽')
もう一人の先輩は日産ステージアに乗っていました(=゚ω゚)ノ
あの頃はツーリングワゴンが流行っていたのかな?

杉さんの詳しい解説があるので会場に行かなくても
楽しめます♪(*'▽')ありがとうございます!(=^・^=)
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杉さん
まりこいさん こんにちは
そうなんですよね、日本も欧米並みにレジャー時代を迎え荷物が詰めるワゴン車が人気になりましたね。
その中でもレガシーはスポーティーでカッコいいので私も欲しいと思いましたよ。
その上の高級車が日産ステージア、上流階級の家族が乗るようなイメージでしたね。
輝いていた昭和素晴らしい!でもこれからは自動運転で年寄りにも優しい車社会の到来です。これからも知らない街へドライブ出来るとは嬉しいことです(^_^)v
お褒めの言葉ありがとうございます。外車は詳しくないので写真メインでUPしますね。
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だんだんさん
杉さんこんにちは。

たくさんの名車解説ありがとうございます。
日記だけで会場に行った気になりました(^o^)

明日25日の午後12時頃に道の駅「オライはすぬま」に
行こうと思います。お時間あればお昼などどうでしよう(^_^)ノ

ps メッセージで送って頂いたメルアドが字数制限で@から後が読めませんでした。再送信できるでしょうか。よろしくお願いしますm(__)m
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杉さん
だんだんさん こんにちは
お褒めの言葉ありがとうございます。
行った気になっていただき嬉しく思います。
明日はオライ蓮沼でお会いしましょう。
メルアド・・・@ezweb.ne.jp
よろしくお願いします。
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きたきつねさん
コンばんわ。日本の自動車の歴史を物語る展示会だったんですね。
俺の知らない時代の車が、これだけ展示されているというのは壮観です。
Chapter 7:「イスズ ベレット」今ではイスズと言うとトラックのイメージですが、かつてはこういった乗用車もあったんですか。めずらしい。
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ジッポーさん
こんばんは

杉さんは本当に車に詳しいですね。
私が生まれる前の車がたくさん。

C23のファミリア 1500 XGは流行りましたね。
友人も乗っていました。
サーファーはほとんどこの車にボード乗っけて使っていたようです。
友人は「陸(おか)サーファー」でダミーボード乗せていたのを思い出します。
友人とは杉さんとご一緒したCB1300の彼です。
懐かしい~
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上さん
杉さんこんばんは。
日本の自動車業界の歴史と各メーカーの威信が詰め込まれたような展示会ですね!ほとんど私が生まれた時代に開発、販売されたいた車ばかり!食い入るように写真を拝見させていただきました(*´▽`*)それにしても杉さんの解説が素晴らしい!なんだかタダで展示会を見に行った気分です。ありがとうございます(^^♪
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杉さん
きたきつねさん こんにちは
そんなんです、自動車産業が現在に至るまでの歩みが見られる貴重なイベントなんですよ。子供のころ見たことのある車ばかりで懐かしく思いました。
いすゞはイギリスのヒルマンと提携して乗用車をノックダウン生産していたようですよ。
その後自動車生産の技術を身につけ、完成させたのがいすゞ・ベレルでした。その小型版がベレット、素晴らしい車で一目ぼれしてしまいました。
でも大手メーカーに対抗できず乗用車部門は撤退、トラック専門になったようですね。当時自動車産業は花形でしたが裏では厳しい競争があったんですね。
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杉さん
ジッポーさん こんにちは
私が生まれたころは、馬車に乗って隣町へサーカスを見に行きました。
そんな時代に車に乗っている奴がいましてね、車の音が聞こえると家から飛び出し道端で眺めていました。
交通手段は徒歩か自転車、人力ではたかが知れてる。もう車の魅力に悩殺です。
ファミリアも覚えていますよ。会社で下取りしたファミリアを拝借して乗り回していた時もありました。第一印象は乗り心地がいいことです。
ダミーボード!!その気持ち良くわかりますよ。CMソングもヒットしましたものね。
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杉さん
上さん こんにちは
お褒めいただき恐縮です、感じたポイントを羅列しただけですよ。
日本の自動車生産技術はかなり低かったようですよ。そこで先輩たちは海外のメーカーと提携して一つ一つ学んだらしいです。
新たなものを造り出す能力は劣るようですが、勤勉な気質と情熱で技術を習得して今や世界トップクラスのメーカーになりましたものね。
そんな彼らの道のりが学べる素晴らしいイベントでした。
今年はメーカーの博物館へも行ってみようかと思っています。新たな出会いに感動するかも(^^♪
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キム(first penguin) ヨガの眠り中さん
杉さん、どうも!
スバル360は動くのかはわかりませんが、今だに良く目にします。
本日は東北道で、イスズの117クーペが走っていました。
バイクではネオレトロが盛んですが、車にも波及しそうですね。
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杉さん
キムさん こんにちは
東北旅行満喫されているようですね。温泉とおいしい料理、永住したくなりませんでしたか(笑)
また山形へ行きたくなりました。蔵王エコーラインとジンギスカンもおいしいらしいですよ。
117クーペは当時もあまり見かけなかったのに、東北道で出会ったときラッキーでしたね。
スバル360は懐かしいです、昔ちょっとだけ運転したことがあります。印象は乗り心地がいいこと、ふわふわのサスペンションが気に入りましたo(^-^)o
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